東京錦秋編(2):秩父宮記念スポーツ博物館(05.12)

 さてここから歩いて神宮外苑まで行きましょう。途中にある国立競技場の脇を通り過ぎると、秩父宮記念スポーツ博物館がありました。そういえばここも未見です、よし入ってみよう。日本人初のオリンピック・メダリストをご存知ですか。実はテニス選手の熊谷一弥(いちや)なのです。彼が1920年のアントワープ大会で獲得した銀メダルが展示してありました。テニス好きの方なら必見。そして東京大会マラソン銅メダルの円谷幸吉の足型! 確かゴール直前で、ヒートリーに抜き去られたのを憶えています。子どもの頃の運動会徒競走で後ろを振り返ったことを父に激しく叱責され、「絶対に後ろを振り向くな」という教えを愚直に守り続けた結果だそうです。彼は自衛隊員で、その後メキシコでの活躍を期待されて周囲から強い圧力をかけられ、足の故障とあいまって自ら頚動脈を切り自殺してしまいます(1968)。沢木耕太郎著『敗れざる者たち』(文春文庫)所収の「長距離ランナーの遺書」によると、意中の女性がいたのですが、練習の障害になると上官に結婚を止められたことも一因かもしれません。「父上様母上様 幸吉はもうすっかり疲れ切ってしまって走れません」という血染めの遺書を残しますが、これほど哀切な文章は少ないでしょう。「~美味しうございました」と幾度も繰り返す生への執着に息を呑んでしまいます。なおこの遺書は『芸術新潮』の「世紀の遺書」(2000.12)で見ることができます。国家権力というリヴァイアサンは己の光輝のために、スポーツ・芸術・戦争などあらゆる営為を利用しつくすのですね。そして国家のために尽力した人々の血と汗を呑み込みながら肥え太っていく… 円谷幸吉を殺したのは誰か? When after all, it was you and me… (『悪魔を憐れむ歌』より) 彼の郷里福島県須賀川市には円谷幸吉記念館があり、遺書はここで保管されているそうです。なお国家によって自殺に追い込まれたもう一人のスポーツマン、佐藤次郎(テニス)も忘れるべきではないでしょう。本人は全英選手権出場を希望していたのにデビスカップ(国別対抗戦)出場を強要され、そして婚約を非難された結果、マラッカ海峡にて投身自殺をとげます(1934)。この二人は氷山の一角でしょう、国家の栄誉と国民の期待によってミンチにされた数多のスポーツマンがいるのだと思います。トリノ・オリンピックはほとんど見ていませんが、報道の様子を見ると日本のスポーツ界の体質は佐藤・円谷両氏の時代と変化はないようです。国家の栄誉と国民の鬱憤ばらしに翻弄される選手たち… あんなにメダルメダルメダルメダルメダルメダルメダルメダルと騒いだら、強烈なプレッシャーになっていい結果はでないのにね。私は、メダルを100個とる国よりも、みんなが一生スポーツを楽しめる時間と環境が保障されている国の方がいいな。何とあのリビアのカダフィ大佐がこう言っています。
 スポーツとは、体を動かすという意味でも、また民主主義という考え方からいっても、他人に代わってやってもらうべきではない。
 そして極めつけは、東京オリンピック女子体操金メダリストのベラ・チャスラフスカが着ていた赤いレオタード!!! 変な意味ではなく、垂涎しました。女性の肉体の美しさ・優美さを教えてくれた、忘れられない選手です。角兵衛獅子の如き軽業に堕してしまった昨今の体操競技から思うと、昔日の感があります。ビロード革命の後、チェコ政府の要職についたという話を聞きましたが、今どうしているのでしょう。なお番外として、ナディア・コマネチがモントリオール大会で着ていた白いレオタードもありました。女子体操の軽業化は彼女あたりから始まったような気がします。
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 本日の一枚は、円谷幸吉の足型です。
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 追記。東京都議会議員が連盟をつくり、石原都知事とともに東京へのオリンピック招致をめざしはじめたようです。やれやれ、「民には、パンとサーカスを与えておけ」というわけですか。
by sabasaba13 | 2006-02-23 06:04 | 東京 | Comments(0)
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