小幡・白井・桐生編(3):上州福島(06.2)

 さてここから上州福島方面へ戻ります。ん? 左手に何やら異なものが… 引き返してみると、三連アーチと三角形のファサードが小粋な富岡市講堂でした。それにしても、人を轢かず車に轢かれず、自転車に乗りながら珍奇な物件を見つける動態視力と周辺視野の広さには磨きがかかってきました。そんな自分を誉めてあげたい、なんて思い上がっていると事故を起こしますね、自戒自戒。ん?ん? 左手奥の方に何やら奇異なものが… 忠魂碑のようですね、見逃せません。いそいそと近づくと、「平和記念塔」と表記してありました。雰囲気からみて、忠魂碑の表示だけを変えたものか、あるいはそれを撤去した跡に作ったものか、どちらかだと思います。もう少し詳細に観察しようと脇へ回ると、そこには「忠」の字が一部欠けた「忠魂碑」という大きな石のプレートが無造作に横たわっているではありませんか。裏に回ると、昭和21年11月3日に作られたと表記してあります。戦前の明治節(明治天皇の誕生日)、そして明治節にあわせて(おそらく“祭日”として戦後も残すために)日本国憲法を公布した日です。うーん… 町村ぐるみで顕彰し、戦死者を再生産させる「忠魂」というシステムを抹殺し、二度と蘇らないよう見せしめのために晒した物件と解釈していいのかな。私はその朽ち果てた様子から「忠魂」への憎悪を感じ取りましたが、ぜひその真相を調べてみたいところです。単に廃棄費用がなかっただけのことかもしれません。
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 さて、さきほど資料館の方に教示された新屋小学校へと向かいますが、地図に載っておりません。やむをえず和菓子屋に入って、草餅を一つ購入し、場所を教えてもらいました。到着して敷地内を探索しましたが、奉安殿らしきものは見当たらない。何やら体育館で会合をしているらしく、たまたま鉢合わせた教育委員会の方々に尋ねると思い当たらないとのお答え。一人の方が、「裏の道を少し行ったところにあるよ」と言うので、ま、とりあえず行ってみましょう。校門の脇に二宮金次郎像があったので、撮影。台座の表記が完全に削り取られていたのが印象的でした。「盡忠報国」とか「八紘一宇」とか「焼鯖定食」とか刻まれていたのでしょう。先ほどの忠魂碑とちがい、このケースでは戦争に対する悔恨や憎悪というよりも、ただ忘れてしまいたい/隠してしまいたいというmentalityを感じます。何らかの形でその表記を保存・展示してほしいですね。さて、学校の裏に回ると、小さな神社建築がありました。その規模・形状からいって明らかに奉安殿ではありません。資料館の方は勘違いをされたようです。また裏の道を少し行くと、往時のままの状態で残されている忠魂碑がありました。おいおいおいおいおい甘楽町教育委員会のみなさん、奉安殿を含めた日本近代の教育・学校の歴史についてもっと勉強してください。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2006-04-20 06:09 | 関東 | Comments(0)
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