「ビッグイシュー創刊50号」

 「ビッグイシュー創刊50号」(2006.5.15)読了。以前にも紹介しましたが、ホームレスの方々の自立を応援するために、世界各国で行われている事業の一環として売られている雑誌です。この雑誌が定めた行動規範を守りながら街頭で販売し、一冊売れるごとに200円のうち110円が収入となるシステムです。その存在を知って以来、街角で見かけると購買するようにしています。
 さて通勤電車の中で読み始めると、今回は私が畏敬する小熊英二氏をゲスト編集長にむかえて「今、日本という社会で生きること」という特集が組まれていました。やるでねがっ! 冒頭には彼の語りが収録されていますので、私なりに要約してみます。会社や学校に行かない/行けない若者に対して、大人たちは困惑し非難し脅威を抱いている。「会社や学校に行かない人間は怠け者のクズ」だという彼らの規範・価値体系に反しているからですね。しかしこうした規範は、高度経済成長からバブル崩壊までの30年の間にできた、特殊なものにすぎない。5~10%の経済成長と完全雇用状態が30年間続き、戦争・革命・クーデターもおきていない国は、たしかに特殊で例外的な事例ですね。と同時に、その規範は経済という枠内でしか社会とつながらないものであった。受験戦争を勝ち抜き会社で働き続け、消費やレジャーで気を紛らわすということです。そうした特殊かつ、消費のことしか考えない貧弱な規範をもとに、今の若者を非難するのは無茶である。しかし経済(消費行動)でしか社会とつながる道を見出せないという価値体系は、若者にも内面化されている。そして、それ以外の社会とのつながり方を想像するための契機として、多様な生き方をしている七人の若者が紹介されています。
 なるほど「社会とのつながり」という補助線を引くと、現状が理解しやすくなりますね。人間は孤独・孤立には耐えられず、つねに社会・他者・過去・未来とのつながりを求めるものなのでしょう。そう考えれば、昨今のナショナリズムの猖獗もわかるし、また人心をナショナリズムに回収するために個々人を分断させる政策が行われていることも理解できます。(競争の激化、監視社会…) ただこうしたつながりは必然的に異国人・非国民・移民・異分子への「排除」をともなうことによって、緊張を醸し、国家(官僚機構+常備軍)への依存を強めます。それは良くない。「排除」をともなわないつながりを築いた七人の若者の紹介、なかなか興味深く読むことができました。
 中でも、リスト・カットを繰り返し、他者とのつながりを求めてオウム真理教や右翼団体に入り、愛国パンク・バンドを組み、イラクに行って「人間の盾」となった作家、雨宮処凛(かりん)氏の話は強烈でした。以下引用です。
 この国で「普通」に生きていたら、有効な命の使い道などほとんどないのだから。そしてそのことが、若者の行きづらさにより一層拍車をかけている。チンケな犯罪者になるより、警察庁統計の3万数千分の1の自殺者になるより、自らの命の使い道をこの「平坦な戦場」で模索し続けること。傍観者から脱却し、世界の当事者になること。それこそが、自分に殺されないための方法だ。
 世界の当事者か、いい言葉だなあ。今度彼女の書いた『すごい生き方』という本を読んでみようかな。他にも『「ニート」って言うな!』の著者後藤和智氏、『中村屋のボース』の著者中島岳志氏の話も載っています。そうそう中島氏は、東京裁判で「日本は無罪」という判決を下したパール判事をテーマとした研究に取り組んでいるそうです。これも楽しみですね。

 さて、となると、私の社会とのつながりとは何なのかなと考えてしまいました。経済の枠内ではないという自負はあります。別に消費が生甲斐でもないし、勝ち組になりたいとも思わないし。読書と旅と音楽を通して、過去や現在のいろいろな他者とつながっているという気はします。これからの課題は、世界を真っ当なものにするためのささやかな行動を起こして、今の他者と、そして未来の他者とつながることです。
by sabasaba13 | 2006-05-17 06:07 | | Comments(0)
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