「王道楽土の戦争 戦前・戦中編/戦後60年編」

 「王道楽土の戦争 戦前・戦中編/戦後60年編」(吉田司 NHKブックス1045~46)読了。タイトルに魅かれて衝動買いをし、著者のプロフィールを読んではじめて「下下戦記」を書いた吉田司氏だと気づいた次第です。
 著者は歴史研究者ではありませんが、日本の近現代史を貫く脊髄・背骨をわずか600ページ弱で語ろうとするその力業には脱帽です。想像力を羽ばたかせた大胆な仮説と、意表をつく見事なレトリックに惚れ惚れとしました。つねづね人々に呼んでもらえない歴史書など何の意味もないと思っていますので、このような試みは大歓迎です。もちろん荒唐無稽なほら話ではなく、多様な文献や先行研究、証言を駆使した説得力の十分にある内容です。
 まず蒙古襲来の例を引きながら、この国は「逃げ場のない島国」だという強迫的な集団心理が、日本の歴史を貫く背骨だと述べられます。欧米列強のアジア植民地化に対してもこの心理が働き、一丸となって近代化の道を邁進しました。その急激な近代化がつくりだした暗黒(重い税負担、急増する人口を支える食糧生産、安い労働力)を東北地方の農民に押しつけるとともに、アジア諸国や諸地域に肩代わりさせて生き延びてきたのが近代日本です。その際に、欧米との隔絶した経済力を認識する度に蔓延するのが 以下、引用です。
 魂の優位性を人間の形にシンボリックに表現すると<天皇システム>になる。日本という国は何が優れているか、「天皇がおわす国だから尊い」。天皇の場合、魂の依り代、つまり万世一系の系統、天孫族の尊い、清らかな血筋を万世一系で伝えてきた、こういう血の系譜は世界にないということ。それが同時に日本の優位性であり、日本民族の優位性を証明していく。
 だから大和民族の優位性は<魂の力>の中にある。魂の爆発エネルギーこそが最強であるという「犬神信仰」に陥っている。だからアメリカの圧倒的な生産力に対抗できないという現実が見えれば見えるほど、精神的なものに走っていく。馬鹿なのではなくて、帝国列強の中で日本が伍していくためのイデオロギーが、「和魂洋才」や「脱亜入欧」、すなわち「魂立国」主義であったから。
 なるほどね。経済的に自信をなくすとウルトラ・ナショナリズムがはびこるという構図はよくわかります、現状もそうだし。なお「技術立国」ではなく「魂立国」という表現は秀逸ですね。そして世界恐慌という嵐の中、東北農民の救済総力戦遂行のための重工業基地建設を目的に、満州事変を起こして「満州国」をつくったわけです。その過程で、官僚が主導した暴力的な「スクラップ・アンド・ビルド」精神のもとに、自然環境を破壊しながら急速な工業化が進められた。そして敗戦とともに日本帝国も「満州国」も崩壊するわけですが、自分たちだけが生き残ったという死んだ戦友に対するキリスト教的原罪意識が、官僚や技術者たちをつつみます。そして満州を改造したシステム・技術・科学合理の精神に再びよみがえらせ、戦後の日本を「リアル満州国」に改造していこうという思いが高度経済成長の大きな枠組みをつくっていった。戦後の日本は、第二次世界大戦の経済版敗者復活戦であり、アマテラスなき経済的八紘一宇であるという指摘は鋭いと思います。戦後日本の復興や経済成長を支えた人々にとって、経済=戦争であり、アジア市場の拡大=経済版大東亜共栄圏であったのかもしれません。
 「敗北を抱きしめて」(ジョン・ダワー 岩波書店)など、戦前と戦後の連続性を考究する良書が増えてきており大変嬉しい限りですが、この書も一読の価値はありますね。
by sabasaba13 | 2006-06-03 06:49 | | Comments(0)
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