「百選の棚田を歩く」(中島峰広 古今書院)読了。棚田を愛すなどと銘打っておきながら、これまで数箇所しか訪れていません。お恥ずかしい限りです。しかし本書を読んで心を入れ替えました。これからは意欲的に各地の棚田を見にいく所存です。著者は、棚田学会の副会長にして、農水省による棚田百選の選定委員、この道の泰斗です。何といっても、序文に感銘を受けました。
各地を訪れる時は…最寄りの場所まで公共の交通機関を利用し、その後は現地まで歩くことにした。それは、第一に車の運転ができないこと、第二に歩かなければ五感に感ずることは書けず、地域を詳しく観察することができないこと、第三に危機に瀕する山村の公共交通機関の一助となるため乗車を心がけたことなどによる。
その意気やよし! 満腔の意をもって賛同します。私も運転できないし… 百選のうち45の棚田が紹介されていますが、いずれも熱い思いにあふれた文章。棚田に関する知識もさることながら、必ず農作業をしている人と会話をして、その棚田について地元の視点から知ろうとする姿勢はぜひ学びたいですね。そして保存の取り組みに関する血のにじむような努力や工夫についても、よくわかりました。これからは、景観の素晴らしさに見呆けるだけではなく、水利や法面(棚田の側壁)の様子や、農機具の搬入方法などにも眼を凝らしていきたいと思います。それにしても、こんなに不便な棚田を、どういう思いで耕作し続けているのか。ある農夫の言葉が印象的でした。
先祖から受け継いだものを自分の代で荒らしては申し訳ないという倫理観が六割、荒らせば周囲が何というかわからないという共同体規制が二割、美味しい棚田の米を食べたいという積極的な理由が二割。
間違いなく言えるのは、たとえどのような理由であるにせよ、棚田には、見事な景観だけではなく、水資源の涵養や土壌の保全、洪水の防止、そして小動物の生育環境が保たれるという計り知れない利点があります。軍事費や特殊法人や原子力発電所や無駄な公共事業などにかける資金があるのだったら、行政は棚田保全へのバックアップを行うべきですね。
あえて苦言を呈すると、各棚田の所在地やそこへのアクセスを示す詳細な地図、そして全体像がわかるカラー写真がほしかったなと思います。大きな瑕疵ではありませんが。
追記。リトアニア領事として多くのユダヤ人の命を救った杉原千畝の実家は、岐阜県八百津町北山にある棚田のそばなのですね。棚田への何らかの思いを込めて、両親が「千畝」という名をつけた可能性があるようです。また映画「
阿弥陀堂だより」に登場する福島新田も紹介されています。