房総半島編(1):館山(06.7)

 七月上旬、ふらふらと一泊二日で房総半島を徘徊してきました。「百選の棚田を歩く」という本に刺激を受け、半島の山中にある大山千枚田を無性に見たくなったからです。そして以前から気になっていた館山の戦争遺跡と、野島埼灯台と、古い街並みが残る城下町大多喜をからめてみました。できうれば、これに加えて保田にある菱川師宣記念館と、落ち着いた街並みの久留里も行ってみたいのですが、ちょっと無理そう。前者は内房線の列車本数が少なくしかも駅から遠いし、後者は盲腸線である久留里線に乗って木更津から45分かかります。久留里については未練が残るので、現地で情報を収集してみるつもりです。なお持参した本は「日本の失敗」(松本健一 岩波現代文庫)。
 天気予報によると、両日ともに曇り一時雨、明日の方が降水確率は高いようです。幸い、本日は雨が降らずにすみそうな気配です。東京駅から特急さざなみに乗り込んで、いざ館山へ。それにしても、特急列車が発車する京葉線ホームまで800mもあるのには驚愕しました。歩くのは決して嫌いではありませんが、人混みの中、気の滅入る地下道を延々と歩かされるのは不愉快です。ここを通勤経路にされている方のご苦労がしのばれます。車中では前半は読書、後半は右手に見える東京湾と漁村風景を眺めながめながらの旅。残念ながら曇天のため、対岸の三浦半島もぼんやりとしか見えませんでしたが。そして二時間弱で館山に到着です。
 ここ館山には、1930(昭和5)年に館山海軍航空隊が置かれ、空母での離発着操縦に優れたパイロット養成をめざします。真珠湾攻撃に投入された艦上攻撃機のパイロットの多くはここで養成されたそうです。また1940(昭和15)年には太平洋の島々での陸上戦闘を想定し、その戦闘員養成のために館山海軍砲術学校も開校されました。十五年戦争末期には陸海軍七万人近くの本土決戦部隊や特攻基地が配置され、最後の抵抗拠点として位置づけられます。しかしほんとうに幸いなことに本土決戦の前に、日本は降伏。東京湾に浮かぶ戦艦ミズーリ艦上での降伏文書調印式の翌日1945(昭和20)年9月3日、カニンガム准将ひきいる米陸軍が館山に上陸し、軍人・市民による蜂起を警戒して四日間の軍政をしきました。これが敗戦後の日本における唯一の直接軍政だったそうです。申し遅れましたが、以上は「保存版ガイド 日本の戦争遺跡」(戦争遺跡保存全国ネットワーク編著 平凡社新書240)からの要約です。全国の戦争遺跡をコンパクトにまとめてあるなかなかの好著で、旅行に出かける前にその附近の遺跡をこの本でチェックしております。
 余談ですが、「敗戦」を「終戦」とごまかす言い回しもさることながら、なぜ8月15日が「終戦記念日」なのでしょうか。どう考えても、ポツダム宣言を受諾した8月14日か、降伏文書に調印した9月2日がその日に該当するはずです。昭和天皇による「玉音放送」が流された8月15日を強調することによって、彼の恩恵・慈悲により戦争は終わったという印象を人々に根付かせるためでしょうね。ま、その狙いはものの見事に的中しているわけですが。
by sabasaba13 | 2006-07-24 06:20 | 関東 | Comments(0)
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