さてここから数分ほど走り、海岸に出ると、アメリカ占領軍の上陸地点です。人気のない海岸には、何かの施設の台座らしきものが二つ海面に顔を出していました。その上の小高い所には、蔦におおわれ廃墟となった建物がぽつねんとたたずんでいます。何やら人間に対して一言言いたそうな数匹の野良猫がたむろしていたのが印象的でした。
そしてまた赤山地下壕跡の方へ向かいますが、その途中に「本土決戦抵抗拠点128高地の戦闘指揮所・作戦室地下壕」と「噫従軍慰安婦の碑」があるはずですが、かにた婦人の村という施設の私有地内にあるため、見ることはできません。そして戦闘機を空襲から防護するための掩体壕(えんたいごう)に向かいます。「たしかこのへんにあったような気がするなあ」と運転手さんは懸命に捜してくれ、ようやく発見。民家や農地の中に埋もれるようにして、ほぼ原型をとどめた状態で残っていました。実物をこれほど至近距離で見るのは初めてです。意外と奥行きは狭いものなのですね。「保存版ガイド 日本の戦争遺跡」(戦争遺跡保存全国ネットワーク編著 平凡社新書240)のコラムによると、陸軍の掩体壕はドーム型で前後とも開放されており、海軍のそれはアーチ型で片方が閉鎖されているとのことです。(ドームとアーチの違いって何なのでしょうか? 正確な定義を調べてみます) なるほど、まさしく海軍型だと一目でわかります。ここでは一つしか残されていませんが、米子、高知、宇佐には掩体壕群が残されているようです。近くに行ったら、ぜひ寄ってみることにしましょう。
本日の一枚です。