テニアン・サイパン編(5):ハゴイ空軍基地(06.8)

 さてそしてハゴイ空軍基地です。いちおう米軍の管轄地域ですが、冷戦終結の影響でほとんど使用されておらず、一年に二、三回訓練が行われる程度だそうです。よってフェンスもなく、立入りは自由。四本の滑走路があり、エノラ・ゲイとボックス・カーが飛び立ったエイブル滑走路を車は疾走し脇道に入ると、広場に出ます。ここが原子爆弾を搭載した所です。地面にコンクリートで固められた長方形の穴が離れて二つ掘られており、原爆を下から持ち上げるためのリフトの穴も確認できました。なお強化プラスチック製の三角形のフードが全面にかぶせられ、中に入ることはできません。そして小さなモニュメントがそれぞれにあり、原爆投下の経過について事務的な英語による解説がありました。№2のほうには「THE JAPANSES EMPEROR WITHOUT HIS CABINET'S CONSENT, DECIDED TO END THE PACIFIC WAR.」と刻まれています。やはり原爆投下が昭和天皇に終戦の決断をさせたという立場をとっているのですね。
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 原子爆弾投下に関する理由や経過について、以前自分なりに調べてみたことがあります。かなり長文になってしまいましたが、ご海容ください。

 ヒトラーは、ウランの核分裂によって非常に大きなエネルギーが発生することに関心を持ち、原子爆弾をつくる研究を進める準備をしていました。その頃ナチス・ドイツはユダヤ人を迫害していたので、ユダヤ系の研究者たちは自由に研究ができる国を求め、アメリカに渡っていました。彼らは、ヒトラーが原子爆弾を開発したら、世界が大変なことになると考えます。そこで、ユダヤ系ハンガリー人の物理学者レオ・シラード(写真左)は、アメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領(写真右)に、ヒトラーより早く原爆をつくることを勧める手紙を送りました。この手紙には、アインシュタインの署名も添えられます。ルーズベルト大統領は1942(昭和17)年、原子爆弾を開発する許可を与え、ニューメキシコ州ロスアラモス研究所などで、密かに研究・開発が進められました。これはマンハッタン計画という暗号名で呼ばれ、約20億ドル(約2000億円以上)という巨額の費用と、延べ12万人以上の人々がこのために使われました。
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 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2006-10-14 07:04 | 海外 | Comments(0)
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