テニアン・サイパン編(21):アメリカン・メモリアル・パーク(06.8)

 中に入ると、米軍関係の物品・武器が展示の中心で目を見張るようなものはありませんが、戦闘の経過に関する解説は読みやすく冷静なものでした。(日本語の訳文あり)
テニアン・サイパン編(21):アメリカン・メモリアル・パーク(06.8)_c0051620_21201524.jpg

 特に印象的だったのは、アメリカ兵と日本兵と島民の手記や談話を紹介する展示です。サイパンの戦いは、アメリカ兵にとっても島民にとっても地獄だったことを、われわれは忘れるべきではないでしょう。二つだけ抜粋します。
 (ある米軍小隊長の手記より) ジャップのスナイパーは深い塹壕の中に隠れ、巧みにカモフラージュしていたので攻撃される前に日本軍の隠れ場所を探し出すのは不可能だった。そして、見つけたときには手遅れで、敵はちょうどすぐ下にいて仲間や、時には自分自身が捕まえられるのだ。そして、サトウキビ畑でのこの戦いはまだ続くのだ。

 (ヨアキン・デ・レオン・ゲレオ・サブラン サイパン島民) すべての人々が戦争によって苦しんだ。僕の弟も撃たれて死んでしまった。でも、僕の家族だけが苦しんだんじゃなく、多くの家族がこの苦しみを心の中に秘めていた。
 全体として正義の味方アメリカが悪の帝国日本を懲らしめたという内容ではありません。ただし、サイパン・テニアン・グアムを手に入れたことによって可能となった、都市部への無差別爆撃と、原子爆弾投下に関する記述は歯切れが悪いですね。というよりもできるだけ触れたくないという印象を受ける、事実経過のみを淡々とつづる簡潔な説明です。後ろめたい気持ちをもち、この事実に正面から向き合うことを避けているような気もしました。でも、無差別爆撃と原子爆弾投下の是非についてきちんと考えないと、また同じことを繰り返すのではないでしょうか。(ま、アメリカ政府は実際に繰り返しているわけですが…) そして被害者である日本には、これを戦争犯罪としてその責任を糾明すべきだと思います。勿論、その前にアジアの人々に対する加害者としての責任を明らかにすべきですが。
 展示の最後にあった、マリア・アタリグさん(ロタ島住民)の言葉です。
 私たちの子孫はどんなときもお互いを理解しあい、助け合わなければいけません。人種や国籍は関係なく、人は尊敬し、愛しあい、理解しあわなければなりません。それが私たち親や家族の唯一の願いであります。
 銘肝。なお「サイパンという名の島」という記録映画を見られるということなので、受付で尋ねたところ、機材が故障中でした。無念。しかしミュージアム・ショップにある小さなモニターで見せてくれるとのこと。20分ほどの短編ですが、当時の実写フィルムを中心としサイパンでの戦闘を記録した充実したものです。どうもありがとうございました。そして店内を物色していると、B-29「エノラ・ゲイ」のスチール製ミニチュア(中国製!)を販売していました。複雑な気持ちになりましたが、やはり購入。外に出てしばらく歩くと、戦争によるサイパン島民およびアメリカ兵の死者の氏名をすべて刻んだメモリアルがそれぞれあります。日本人の死者すべてを記したメモリアルはないようです。
テニアン・サイパン編(21):アメリカン・メモリアル・パーク(06.8)_c0051620_21204032.jpg


 本日の二枚です。
テニアン・サイパン編(21):アメリカン・メモリアル・パーク(06.8)_c0051620_21275967.jpg

テニアン・サイパン編(21):アメリカン・メモリアル・パーク(06.8)_c0051620_21292443.jpg

by sabasaba13 | 2006-11-08 06:06 | 海外 | Comments(0)
<< テニアン・サイパン編(22):... テニアン・サイパン編(20):... >>