北陸・山陰編(3):魚津(06.9)

 さて今日の旅程はどうしよう。魚津で米騒動関連の物件を見た後、富山で途中下車してLRT(ライト・レール・トランジット)に乗り、高岡で乗り換えて氷見に行って棚田を見て、時間があったら伏木か高岡の見物かな。あとは成り行きまかせにしましょう。富山から24分で魚津に到着。さっそく駅構内にある観光案内所に直行し、米騒動発祥の碑・旧十二銀行の蔵・金川商店米倉跡の所在地を訊ねたところ、前二者は同じ場所に、最後の物件はわからないとのことでした。地図をもらい石碑まで歩いてどれくらいかかるのか訊ねると「かなりかかります」との返事でした。うーん、これからの予定もあるし、ここはタクシーで行くことにしましょう。車で十分ほど走ると、海沿いの道路脇にぽつねんと目立たない碑がたっていました。その背後にある廃屋が旧十二銀行の蔵だと思いますが、解説板でふれられていないのはちょっと不親切。米騒動、米価の暴騰に怒った魚津町の漁民の主婦たちが立ち上がったことがきっかけとなり、1918年7~9月に起きた全国的な騒擾です。当時、『高岡新報』(1918.8.10)に掲載された記事です。
 米の騰貴は何より漁師の打撃である。働き盛んの漢(おとこ)の食事は一日一升二合で、此頃鱈釣に出掛ける者は朝の三、四時に船に乗つて行くから、其前に一二杯お飯を食べ、アノ大きな飯盒に一杯盛詰め往復の途中喰つて仕舞ひ、七八時に帰宅して獲つて来た魚を汁に朝餉を食べ昼寝して昼夜も食事を喫してゐるから、一升二合は驚くに足らぬ。
 これでは、漁師のおかみさんたちが米蔵に押しかけるのも当然至極です。この事件が新聞で報道されると、全国各地で米商への米の安売りの強要や富裕者の邸宅への襲撃が行われ、参加者は60~70万人であったといわれます。原因は都市人口増加と、寄生地主制による生産の停滞と、シベリア出兵に際しての買占め・売り惜しみによる米価急騰です。前年にロシア革命が起きたこともあり、こうした動きが革命へとつながるのを恐れた山県有朋は第一党の立憲政友会に政権をゆずり、初の本格的政党内閣である原敬内閣が成立することになります。紫煙を燻らせ蜃気楼で有名な海を眺めながら、80数年前に起きたこの大事件の現場に今いるのだなあとしばし感慨にふけりました。原子化した個人による暴動・騒擾は決して適切な手段ではないと思いますが、少なくともモラル・エコノミーを求めて生活苦に対する反発の意思表示を当時の多くの人々が行い、それによって事態を動かした一面は見逃すべきではないと思います。今再び深刻な生活苦に追い込まれているわれわれとしては、非暴力的かつ有効的な意思表示の方法を編み出す必要があるのではないか。そういう意味で百姓一揆にも多々学ぶべき点があると思います。一揆の基盤となる強固なコミュニティが存在しないという困難さは重々承知しておりますが。今、日本文化ブームのようだし、政府も為政者に無害な伝統文化の尊重をよびかけているのだから、これに対抗して“一揆”という伝統文化を呼び起こしよみがえらせるのもひとつの戦略になりうるのではないかな。1866年、江戸町奉行所にこんな張札を貼った江戸っ子のユーモアと批判精神も蘇らせたいですね。
御政事売切れ申し候

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 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2006-11-18 06:10 | 中部 | Comments(0)
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