北陸・山陰編(6):岩瀬(06.9)

 そして東岩瀬駅で下車、平日乗車料金が100円というのは破格です。さあ、かつて北前船で栄えた岩瀬の街を散策することにしましょう。巨大な忠霊塔、火の見櫓を拝見しながらしばらく歩くと、古い民家と新しい建築が渾然と建ち並ぶ大町通りに到着です。でもそれほど高い建築が見当たらず、幅広で歩道・車道の別がない道なので、快適な気持ちで歩くことができました。釣り用生えさの自動販売機は生れてはじめてお目にかかりましたね。そしてこの通りにある北前船回船問屋森家を見学すれば、かつて殷賑を極めた街の雰囲気を味わうことができます。母屋の吹き抜け部分に組まれた豪壮な梁を見ただけでも、その財力が偲ばれます。保存状態が良くないのが残念ですが、蔵の扉にはみごとな鏝絵もありました。入館料を訊ねたら、係りの中年男性が「200万円!」とぶちかましてくれたのも忘れられません。登録無形文化財として申請したいような、貴重なギャグです。
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 すぐ隣には森家のにしん蔵も残されています。裏手は富山港で、無料で上れる富山港展望台もあるのですが、時間の関係で省略。なお道案内の表示にロシア語があったので、かなりの数のロシア人が当地を訪れるのでしょう。「月当番」という札がかかっていたのは、何かしらの形でコミュニティが存続しているのですね、きっと。そして静かに水を湛える岩瀬運河ぞいに歩いて、岩瀬浜駅まで行き、ふたたびポートラムに乗り込み富山駅へと向かいます。車窓から我が物顔に街中を走り回る自動車を眺めながら、そろそろ街を人間のものに取り戻してもいいのではないかなと痛感しました。そのためには、路面電車の導入はきわめて有効な戦略の一つだと考えます。自動車業界は猛反対し陰に陽に妨害するでしょうが、企業の利益よりも公共性を優先させる決定ができなければ民主主義は看板倒れですね。
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 本日の二枚、岩瀬の街並みと北前船回船問屋森家です。
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 追記。さきほど「夢と魅惑の全体主義」(井上章一 文藝新書526)を読んでいたら、忠霊塔に関する記述がありました。日本のファシズムは戦時体制であると喝破したうえで、ドイツ・イタリア・ソ連とは違い戦時施設以外の建築や都市計画には無関心・冷淡であったと述べられています。戦時施設として重要視された忠霊塔の建設にも紆余曲折があり、軍事動員の障害になると考え、かつ靖国神社以外の英霊顕彰祭式が育つのを怖れて建設を抑制しようとするる内務省と、建設を求める民衆のエネルギーを吸いあげようとする陸軍の対立があったそうです。結局、日中戦争の激化にともない内務省は忠霊塔建設を認め、陸軍をバックに持つ大日本英霊顕彰会が忠霊塔のデザインを一般公募にかけました(1939.8.25)。その結果3タイプが選ばれ、以後これらを手本にして各地に忠霊塔がつくられていきます。あらためて岩瀬にあった忠霊塔の写真を確認すると、上から三つ目のものに似ています。揮毫は畑俊六陸軍大臣。彼が陸軍大臣であったのは、1939.8.30~1940.7.16、時期的にも符合しますね。公募された意匠を参考にしたことは間違いないと思います。
 それにしても何気なく見過ごす忠霊塔にも、これだけの歴史があるのですね。あらためて学び知ることの快楽を感じました。
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by sabasaba13 | 2006-11-21 06:09 | 中部 | Comments(0)
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