北陸・山陰編(12):梨子ヶ平の棚田(06.9)

 そして高岡駅に戻り、北陸本線で福井に向かいます。車窓から、水田の一角に墓が集められている光景をよく見かけます。両墓制(埋め墓・詣で墓)を採用しており、これは詣で墓なのでしょうか。墓制についてはいつかきちっと勉強しておきたいな。一時間二十分ほどで福井駅着、さっそく駅構内にある観光案内所で梨子ヶ平の棚田へのアクセスをうかがいました。係の方が懇切丁寧に調べてくれたところ、約一時間バスに乗り終点から歩いていけるとのことでした。うしっ、決行しましょう。地図や資料をしこたまもらい、路面電車を撮影して、一時間に一本運行しているバスに乗りましょうバス停の前にはミシン屋と写真のようなポスターがありました。「ミシン」も「お嫁さん」もとんと耳にしなくなった言葉ですが、福井県では息づいているのでしょう。もらったパンフレットをバスの中で見ていると、福井県の良さをPRするものがありました。男性の平均寿命全国第二位(一位は長野県)、女性の平均寿命第二位(一位は沖縄県)、住まいの広さ第二位(一位は富山県)、粗暴犯の割合の低さ第一位、失業率の低さ第二位(一位は島根県)、社長輩出数第一位だそうな。一応この数字を信じると、なるほど住みやすそうなところですね。
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 山中をしばらく走り、やがて越前岬へと向かう海沿いの道をバスは快走します。日本海の眺望がすばらしい! これだけでも来たかいがあったというもの。終点の左右(そう)で下りて周辺をきょろきょろすると、棚田への道案内表示がありました。小さな漁港の町左右を眼下に見ながら、坂道をのぼっていくと「丹生郡森林組合」という看板がありました。昔、このあたりでは辰砂(水銀の原料)がとれたのでしょう。
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 十分ほど上ると梨子ヶ平の棚田に到着です。V字型の谷に築かれた棚田で、遠方には日本海が輝いていました。休耕田がやや多く全体的に寂れた印象を受けます。しばらく景観に見惚れ写真を撮り、さあ帰途につきましょう。
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 集落をふと見下ろすと、海岸へと続くような感じの道があります。これは停留所への近道に違いないという己の勘を信じ、集落を抜けてくてくと歩いていくと、外してしもうた! 急峻な崖のところで行き止まり、そして山沿いに「えちぜん水仙の道」という自然遊歩道がつくられていますが海岸へはおりられません。やれやれ、もう一時間後のバスに乗るしかないなと諦め、付近を散策することにしました。海上の安全祈願のためにつくられたらしい坂ヶ平の石像を拝み、風の歌を聴きながらしばらく海と勇壮な岩々と割れて砕けて裂けて散る波を眺めていました。
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 再び棚田のとなりに身を寄せ合うように佇んでいる集落に入ると、梨ヶ平城滝本美術館(閉館)がありその碑にこう刻んでありました。「風光明媚な土地と共に昔と変わらないのが何事にも一致団結し、平和な村を守ろうとする人々の温和な心です」 「七度の餓死に遇うとも、一度の戦いに遇うな」という古諺を思い出してしまいました。ついでに丸山真男氏の言葉も… 「戦争は一人、せいぜい少数の人間がボタン一つ押すことで一瞬にして起せる。平和は無数の人間の辛抱強い努力なしには建設できない。このことにこそ平和の道徳的優越性がある。」 こうした山里に集落を構えたのも、もしかすると戦から逃れるためなのかもしれません。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2006-12-02 18:32 | 中部 | Comments(0)
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