北陸・山陰編(20):東舞鶴(06.9)

 JRに乗って東舞鶴に移動、レンタサイクルはなさそうなので徒歩で散策することにしましょう。なお今得た情報によるとJR東舞鶴駅北口から歩いて約3分のところにある「西村モータース」で自転車を借りられるそうです。東舞鶴は1901(明治34)年に海軍鎮守府が設置され、以後海軍機関学校、造兵廠、造船所などが置かれて軍港都市として急速に発展した町です。市街は北海道の旭川市をモデルとして碁盤の目のように整然と区画され計画され、東西の通りは、八島、敷島、大和などの軍艦名がつけられています。
 駅前から十分ほど歩くと、海軍がつくった、煉瓦造りの重厚な北吸トンネルがあります。(歩行者・自転車専用) ここをくぐりぬけ、しばらく歩くと海軍のかつての魚雷倉庫を転用した赤れんが博物館で、煉瓦についての詳細な展示があります。ここで知ったのが、煉瓦を焼くためのホフマン式輪窯は現在四ヶ所しか保存されていないとのこと。そのうちの一つが舞鶴近くの神崎にあるのですが、受付で訊ねたところ破損がひどく公開されていないようです。無念。なお他の三つは、埼玉県深谷市、栃木県下都賀郡野木町、滋賀県近江八幡市です。興味がある方は(いないだろうなあ)下記のサイトをご覧ください。
http://www.gijyutu.com/ooki/tanken/tanken2000/kanzaki/kanzaki.htm
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 次は海軍の砲弾庫を利用した市政記念館を見学。舞鶴の歴史についての簡単な展示がありました。へえー、ベルリンオリンピック(1936)棒高跳びで西田修平と2・3位を分け合った大江季雄は舞鶴出身だったんだ。半分にしてつなぎ合わせた友情のメダル(複製)が展示されていました。なお実物は、東京代々木にある秩父宮記念スポーツ博物館にあるそうです。
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 さて外に出て港沿いの道路を歩くと煉瓦造りの倉庫があちらこちらに見えてきます。ただ道路の交通量が多いのと、多くの倉庫がフェンスの中にあるためロケーションはあまりよろしくありません。
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 しばらく行くと自衛隊桟橋、土・日・祝日は一般公開されているので、さっそく入ってみました。数隻の護衛艦が埠頭に接岸していますが、船の中には入れません。しかしその迫力は圧倒的。莫大なお金をかけて人を殺すという機能に徹した結果の迫力ですが。それにしても、これだけのお金を教育や福祉に使えば違う日本でありうると思います。シャッター商店街や荒廃する農地に象徴される地方の惨状も、かなり救えるのではないかな。「冗談じゃない!」という軍需産業関係者や彼らと癒着している自衛隊関係者の声が聞こえてきますね。
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 本日の二枚です。早く「ファイヤー!」と言いたくてウズウズしてるでしょ、安倍伍長。でも早まっちゃだめですよ、あなたにその権限はないのだから。ちゃんと上官であるGeorge Walker Bush大統領の命令に従うように。
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by sabasaba13 | 2006-12-15 06:12 | 中部 | Comments(0)
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