北陸・山陰編(21):東舞鶴(06.9)

 さらに少し歩くと海上自衛隊舞鶴地方総監部、ここでも土・日・祝日には海軍記念館を見学することができます。昭和天皇行幸のためにつくられた旧海軍機関学校大講堂を利用した、海軍関係の資料館です。スクラッチ・タイル貼りのなかなか落ち着いた雰囲気の建築で、講堂自体も見学することができます。演壇正面に奉安庫がないのには不可思議。中には東郷平八郎が使用した机などが展示されていましたが、次のような解説が気にかかりました。「勝海舟により育成された海軍は「海軍の父」と称される山本権兵衛により、質・量ともに先進国に劣らず、また、技術・精神力では列強をしのぐ域へと作り上げられた。」 当時における世界各国の海軍力の比較について言及できる能力はもちあわせておりませんが、“精神力”をわざわざ銘記するあたりに強烈なコンプレックスを感じますね。
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 なおこちらでは「防衛庁を省に -危機により強く、世界の平和により役立つ組織に-」というリーフレットが置いてありました。その中に「防衛政策の基本は省にすることにより変わらず」という項目があり、「シビリアン・コントロール」「専守防衛」「節度ある防衛力の整備」「海外派兵の禁止」「非核三原則」「軍事大国とならない」という防衛政策の基本が書き連ねてあります。ぷっ、と思わず吹き出してしまいました。米軍の核兵器持込を黙認し、莫大な軍事費を使い、アメリカ政府の有形無形のコントロールを受けながら、イラクでは米軍の軍事行動をバックアップしている現状のどこをどう押せばこんな言辞が出てくるのでしょうね。さらに防衛施設庁の不祥事対策も触れられていますが、微温的なものです。第三者機関による監視や関係者への重罰は、一言半句も提言されていません。やれやれ。隣にはテニスコートがあり、隊員の方々がテニスに勤しんでおられました。「ローボレーは腰を落とすのではなくスタンスを広くするといいですよ」とアドバイスをしたかったのですが、射殺されてはかなわないので、やめ。行幸記念碑のプレートには「昭和二十年八月十五日終戦となり、不敬にわたる取扱いを受けないよう秘かに地中深く埋没されました。」と刻んでありました。きっと敗戦時にあちらこちらで見られた光景なのでしょうね。入り口のところに「敬礼の励行」という表示があったのには笑ってしまいました。
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 追記。いやはや、民主党の賛成も得て、いとも簡単に「防衛省」になってしまいましたね。いっそのこと「アメリカ軍防衛省」とした方がわかりやすいのに。ついでに民主党も「第二自民党」にしてはいかが。私が夢見る国営国際救助隊「雷鳥」構想が実現するのはいつのことやら。でもあきらめないぞっと。
by sabasaba13 | 2006-12-17 08:47 | 中部 | Comments(0)
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