北陸・山陰編(22):東舞鶴(06.9)

 さてバスで駅前に戻り、タクシーを一時間貸切にすることにしました。なにせ山陰本線は連絡が悪く、あまり遅くならない時刻に倉吉に着くためには、どうしても急がねばなりません。まずは東舞鶴駅前から車で十数分のところにある引揚記念館へ。敗戦後、大陸や半島からの引揚者を乗せた船の多くがここ舞鶴に到着したのですね。駆け足で展示を見たかぎりでは、満洲開拓移民が数多かったようです。国策に振り回された悲劇や労苦もさることながら、中国人に与えた痛苦や損害について絶対に忘れるべきではないですね。吉林省のある中国人農民は「匪賊は金品を掠奪するも土地までは奪わず。満拓は農民の生活の基たる土地を強制買収す。土地を失うは農民として最も苦痛とする処なり」と嘆き、魯迅は「失われた空、土地、難にあえぐ人民、そして失われてしまった草、高粱、きりぎりす、蚊」と記しています。(『キメラ 満洲国の肖像』 山室信一 中公新書1138) そうした加害についての展示が少ないのが、大変気になりました。それにしても、こうした国策を決定・遂行した人物の責任はきちっと追及されたのでしょうか。
 再びタクシーに乗り、数分で引揚桟橋に到着。桟橋自体は復元されたものですが、『岸壁の母』で歌われたように、かつて引揚者の家族がその帰りを今か今かと待ちわびた場所です。桟橋復元由緒には「幾多の苦難に耐え、夢に見た祖国へ感激の一歩をしるした桟橋」と記されていました。やはりここにも、中国農民に与えた苦難と、そうした全ての苦難の責を負うべき為政者への批判はふれられていませんでした。桟橋の脇ではたはたと風にはためく「日の丸」は黙しています。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2006-12-18 06:04 | 中部 | Comments(0)
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