岩井・東海村・結城・古河編(1):岩井(06.10)

 昨年の十月吉日、一泊二日の小旅行に行く機会がつくれそうなので、「関東小さな町小さな旅」(山と渓谷社)をパラパラとめくりながら旅程を考えていました。寄居と小川に長瀞をからめようかなあ、などと思案している時に「六ヶ所村ラプソディー」という映画を見て、あらためて原子力発電がこの列島にもたらしつつある漆黒の闇のおぞましさに身が震えました。こうなったら、日本の原子力発電の原点ともいうべき東海村に行って、その闇の中枢の一端でもこの目で見てやろうと決意。ここに、石井(いわい)の平将門物件めぐりと、結城・古河の徘徊をからめてみましょう。ちょっと移動時間は長くなりますけれどね。持参した本は「核大国化する日本」(鈴木真奈美 平凡社新書336)ですが、これは見事な選択であったと自画自賛。

 天候は薄曇り、まずは都営十二号線で新御徒町に行き、ここでつくばエクスプレスに乗り換えです。約20分で守谷駅に到着。つくばエクスプレスが開通したことにより、町の様子もずいぶんと変わりそうですね、巨大な駅ビルができていました。ここからバスに乗って石井へ移動です。バスはほぼ満員だったのですが、前川製作所の前でほとんどのみなさんが降りました。このあたりには工業団地もあるようですね。石井が近くなるにつれ、畠が目につくようになります。と同時に、つぶれたガソリン・スタンドや飲食店も見かけました。そして広大な駐車場をもつ大規模小売店舗。暮らしに自動車が欠かせなくなっている状況がよくわかるとともに、小さな小売店の苦境も思いやられます。30分ほどで石井の中心部に到着、大通りの両側に商店が建ち並ぶ思ったよりも大きな市街です。
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 将門饅頭や、彼を描いたマンホールの蓋、彼の家紋があるコンクリート製鉢入れなど、平将門を観光客誘致に利用しようという思惑は感じますが、人通りは少なくあまり成功はしていないようです。
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 関連の史跡は距離的にそれほど離れていないので、貸し自転車を利用したいところなのですが、用意されておりません。歩くにはちょっときつい距離なので、やむをえずタクシーを一時間借り切ることにしました。ちなみに「石井局前」という郵便局前のバス停留所で降りると、道路を挟んでタクシー会社が二軒あります。
 平将門の乱(935~40)。平安時代前期、浮浪・逃亡といった農民たちの抵抗により、律令制度による徴税システムは崩壊します。朝廷は国司(受領)の裁量権を強化して税収を確保しようとしますが、その過酷なやり方に対して反抗・反乱が激増し、地方の治安は悪化しました。そこで朝廷は中央の軍事貴族を地方に派遣しこれらを鎮圧させますが、やがて彼らは土着し血統の良さを利用しながら地方に勢力を伸ばしていきます。彼らは兵(つわもの)と呼ばれるようになりますが、平将門はその末裔ですね。しかし中央から派遣された受領の苛政はさらに過酷となり、これに対する兵の大きな反乱が都の東西でほぼ同時に勃発しました。これが平将門の乱と藤原純友の乱、いわゆる承平・天慶の乱ですね。将門は常陸・下野・上野の国府を占領し、自らを新皇と名乗って坂東の独立を宣言しましたが、結局、恩賞をエサに動員された兵たち(平貞盛・藤原秀郷)によって鎮圧されてしまいます。以後、特に東国では彼ら兵が、ガードマン+暴力団+農場経営者+地方公務員として村々に根付いていき、最終的には国家公務員として認定され、土地所有権や警察・裁判権を朝廷に正式に認めてもらうことをめざします。ま、これに尽力して武士の支持を勝ち取るのに成功したのが源頼朝だと考えます。こうしてみると、中世日本の歴史は、武士が国家公務員になるための道程として理解できるのではないでしょうか。武士にかぎらず、いかに多くの人々が公務員としての利権や栄誉を望んでいたかは、公務員の地位を示す呼称である~右衛門・~左衛門・~兵衛・~介を名前の末尾につけるようになったことからもうかがわれます。ドラえもんも公務員になりたかったんだ!
by sabasaba13 | 2007-01-12 06:09 | 関東 | Comments(0)
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