岩井・東海村・結城・古河編(2):岩井(06.10)

 閑話休題、その将門が本拠地としたのがここ石井(※現在は岩井)の地なのですね。さっそく観光地図に掲載されている史跡をタクシーでまわることにしましょう。まずはベルフォーレというホールの前にある将門の銅像見物です。なかなか凛々しい物件ですが、乗っている馬がどう見ても近代以降に輸入されたアラブ種です。在来品種はもっと小さかったはずなのですから、そこまできちんと再現してほしいな。それにしても前近代においてなぜ去勢技術が大陸から導入されなかったのか? 発情期はさぞ大変だったでしょう。次は将門が馬の調練をしたと伝えられる「富士見の馬場」。舌状台地が発達しているこの一帯は馬の飼育にもってこいの場所です。馬と鉄の生産が、将門の勢力を支えていたのですね。しかし富士はもちろん見えず、住宅街の一画に猫の額のような敷地と碑があるだけで、往時の面影はまったくありません。
c0051620_8542134.jpg

 そして京都紫宸殿前の桜を株分けしたと伝えられる「九重の桜」へ。将門との関連は不分明です。このあたりからは眼前に広い畑や水田が見晴らせます。すぐ近くには「石井の井戸」があります。将門が居館の地を探し求めて駆け巡りのどの渇きを感じていると、ここに佇んでいた老翁が大石を大地に打ち込み、そこから妙味の水がこんこんと湧き出てきたという言い伝えです。しかしここも碑のみが残っているだけです。
c0051620_8544487.jpg

 そして「鳥広山石井営所跡」へ、将門が支配の拠点とした場所がここです。住宅にはさまれた小さな空間に、ぽつねんと碑がたっていました。ここの近くには将門を祭神とした国王神社があり、木製の将門像があるはずですが見ることはできません。本殿・拝殿は萱葺屋根のしぶい建築ですが、脇にかけられていた絵馬がかなり古ぼけているのをみるとあまり尊崇を集めてはいないように感じられます。
c0051620_855632.jpg

 以上の史跡はいずれも数分あれば車で移動できる距離です。歩いても回れると思いますが、正確な地図がないときついでしょう。そして少し離れた所にあるのが延命寺、石井営所の鬼門除けとして建立されたお寺さんで、萱葺のりっぱな山門があります。さらに十数分ほど車で行った所に延命院があります。将門の胴が埋められたと伝えられている場所で、胴塚がつくられています。この胴をさがすために、都でさらされていた首が飛んできて力尽きて落ちたところが東京大手町にある首塚。境内には見事なカヤの巨木が屹立していました。
c0051620_8562947.jpg

 以上、一時間で十分に回れる史跡群です。往時の雰囲気は微塵も感じられませんが、逆に地形をもとに想像力を駆使してかの時代のことを脳裡で再現する楽しみがあります。大変高度な技量が必要ですけれどね、私には正直言って難しい… バスの連絡がよくないので、延命院から関東鉄道水海道駅まで行ってもらうことにしました。運転手さんと車中で世間話をしていると、このあたりも市町村合併がおこなわれ岩井市+猿島町=坂東市となったそうですが、こうした住民への公共サービスを切り捨てる所業がまかりとおっています。「小さな政府」と「小さな自治体」と「大きな企業」というルール無用のジャングルですね。民衆のために独立を目指したのかどうかはわかりませんが、少なくとも中央政府の収奪に抵抗し戦った将門は故郷が国家権力によって合併に追い込まれた事態を冥界でどう見ているのでしょうか。

 本日の二枚は、九重の桜からの眺望と、延命院の大カヤです。
c0051620_8565355.jpg

c0051620_8571619.jpg

by sabasaba13 | 2007-01-13 08:58 | 関東 | Comments(0)
<< 岩井・東海村・結城・古河編(3... 岩井・東海村・結城・古河編(1... >>