「昭和天皇の軍事思想と戦略」

 「昭和天皇の軍事思想と戦略」(山田朗 校倉書房)読了。冒頭に載せられている著者の言を長文ですが引用します。
 今日における戦争責任の追及とは、どのような歴史状況の中で、どのような国家の判断・行動が、どのような結果をもたらしたのかを実証的に検証し、その因果関係や責任の所在を明らかにし、国民の共通認識として定着させることである。こうしたことを私たち日本人の手で確実に行っておくことが、侵略・支配に対する自覚的反省と内外に対する実のある謝罪・補償の前提であり、再び膨張・戦争といった歴史を繰り返さないための確かな土台となるのである。そして、戦争責任の問題をとりあげる時には、戦前の国家元首であり、陸・海軍の最高統帥者であった大元帥・天皇の責任についても触れないわけにはいかなくなるのである。
 同感です。好き嫌い、敬愛や憎悪を抜きにして、昭和天皇とはどのような人物だったのか、どのような権力をもっていたのか、何をし、そして何をしなかったのか、是非とも実証的な研究に触れてみたいと常々思っていたときに、本書に出会えました。
 昭和天皇の戦争責任を否定する議論は、天皇の憲法上の機能、および天皇の実態を根拠になされますが、本書は主に後者に焦点をあてたものです。昭和天皇による実際の統帥権の行使を、(1)奉勅命令(大本営命令の発令)、(2)下問などを通しての作戦指導、(3)将兵の士気の鼓舞の三つに分類した上で、十五年戦争期を中心に、大元帥・昭和天皇の戦争指導について具体的な史実を提示し、軍事史的な分析を加えて、彼の戦争責任問題を考えるための確かな素材を提供しようというのが本書のねらいです。
 まず天皇の下問は単なる質問ではなく、軍部の意思を変更させうる統帥権行使の側面を実際にもっていたことを、「昭和十四年度帝国海軍作戦計画」の変更、南方作戦の研究開始、陸軍航空部隊の東部ニューギニアとラバウル方面への派遣などの具体例を挙げながら論証されています。そして軍は都合の悪い情報を意図的に隠すということをせず、天皇は軍の作戦や損害等について熟知していたのも事実です。つまり正確な情報をもとにして、昭和天皇が作戦指導に積極的に関与していたことがよくわかりました。それでは作戦や戦争を指導する際の、彼の基本的なスタンスはどういうものか。著者は簡潔にこうまとめられています。「始まった作戦は仕方がないが、以後は自分の意図・方針を尊重せよ、という現状追認の論理、そしてその後にくる結果優先の論理」 つまり統帥部のような強引なやり方は困るが、結果として領土・勢力圏が拡張することは容認する、ということですね。満州事変勃発の際も、熱河作戦の時も、日中戦争が拡大した時も、当初は反対した天皇が、現実的な戦果が挙がり勢力圏拡大が達成されると、事態を事後承認し、独断専行者たちを賞賛しつづけたことからもよくわかります。結果オーライの穏健主義者にして膨張主義者というのが、実像だったのですね。そしてこうした姿勢が、結果として軍部の独断専行の武力戦や謀略を奨励・激励することとなった、と著者は指摘されています。

 憲法上の機能から天皇の責任を否定する意見に対しては、最後のところでこう反論されています。総理大臣の副署なくして天皇は権限を行使できず、政府の決定に天皇の意志をさし挟む余地はないという考え(昭和天皇自身も戦後この論理で自己弁護)については、それは一種の拡大解釈である。そもそも大日本帝国憲法には、大臣が責任を負うという無答責条項が明文化されていない。また統帥権が政府から独立しており、かつ幕僚長(参謀本部・軍令部の長)に最高命令を下す権能がないのならば、その責任は最高統帥者たる天皇に帰着せざるをえない。

 というわけで、実際の戦争・作戦指導、および憲法上の機能、両者の面からみて、昭和天皇に戦争責任はあるというのが結論です。私も同感。「絶対的平和主義者」というイメージは史実とは違うものであるということが、よくわかりました。この問題に関する実証的な研究がさらに深化することを念願しますが、本書で一つの結論は出たのではないかと思います。お薦め。

 なお「神風特攻隊」に関して、次のような一文があったので引用します。
 このような異常な戦法に頼らざるをえなくなった原因は、(1)パイロットの技量が低下し、通常の爆撃・雷撃による戦果の望めなくなったことと、(2)どうせ、戦死するなら若者に有効な「死に場所」を与えたいという第一航空艦隊司令官・大西瀧治郎中将などの自暴自棄の精神論が突出したこと、にある。戦争はついに日本軍の作戦遂行能力の限界点を超え、統帥部の最低限の理性すら崩壊させたのである。天皇による「よくやった」という発言は、前線部隊にも伝えられ、さらなる特攻作戦を強行させる重要な要因の一つとなった。
 小泉元軍曹のコメントをぜひ聞いてみたいな。
by sabasaba13 | 2007-02-01 06:07 | | Comments(2)
Commented by ひどい人ですね! at 2015-10-19 11:51 x
ポツダム宣言を受諾する際に、「領土はどうでもいいから、国体を護持してくれ」と言ったのですよね。(これはどう考えても、「国民は、どうでもいいから、自分をたすけろ」という意味ですよね)
宣戦布告そのものが、国際法違反ですしね(攻撃した後に、布告している)。
Commented by sabasaba13 at 2015-10-22 18:36
 こんばんは、ひどい人ですね!さん。彼に関する毀誉褒貶は多々ありますが、肝心なことは天皇制を守るためのリアリズムに徹したことだと思います。そのためなら戦争もするし、平和も求める、また国民も沖縄も犠牲にする。彼が何をして、何をしなかったのか。『昭和天皇実録』も公表されたことだし、より彼に関するより精緻な研究が進展することを心より期待します。天皇制の権威を利用して匿名の権力をふるいたがる方々も、「明治の日」などとはしゃぎまわらずに、冷静に歴史をふりかえっていただきたいものです。
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