「グアンタナモ、僕達が見た真実」

 最近、社会派映画の力作が目白押しです。「六ヶ所村ラプソディー」「それでもボクはやってない」「ダーウィンの悪夢」「不都合な真実」等々、いずれも劣らぬ見応えでした。いかに世界や日本の現状がいかがわしく凄惨なものであるかを、物語っているようにも思えます。先日見にいったのもそうした中の一本、「グアンタナモ、僕達が見た真実」です。パキスタン系イギリス人の四人の青年たちがたまたま故郷に帰った際に、アメリカ軍によるアフガニスタン攻撃が開始されます(2001.10)。若者らしい好奇心と、隣国の人々を助けたいという思いから、アフガニスタンへ旅立った彼らは戦闘に巻き込まれ、北部同盟+アメリカ軍に捕らえられます。そしてテロリストだという疑いをかけられ、キューバにあるグアンタナモ米軍基地に移送され、自白を強要するための凄まじい拷問と虐待を受けることになります。そして潔白が証明され、無事に生還することができるというストーリー。実話に基づいた作品で、実在の三人が時々画面に登場して、生の声でその体験を語ります。(一人はいまだ行方不明)
 あっという間の1時間36分、食い入るようにスクリーンを見続けました。前半の戦場のシーンでは、実写のニュース・フィルムを織り交ぜながら、戦火に逃げ惑う人々をリアルに描きます。殺す側の視点と殺される側の視点をうまく交錯させています。そして圧巻は、後半の収容所の描写です。敵対するキューバに何故アメリカのグアンタナモ基地があるのか不思議だったのですが、20世紀初頭に締結した条約によりアメリカが半永久的に借用しているのですね。(キューバ政府は返還を要求) よって国交のない国の領内にあるので、アメリカの法律も国際法も適用されない治外法権となっています。アメリカ政府はこの条件を利用して、テロリスト容疑者に対する裁判もない無期限の拘束、虐待、拷問を繰り返しています。その様子を忠実に再現した場面の数々には息を呑んでしまいました。強烈な陽光が照りつける敷地に、動物園のようなケージが並び建っています。これが収容所。そこでは人間の尊厳をすべて剥ぎ取るような虐待が行われていました。喋るな! 歩くな! 立つな! そしてしゃがんだ姿勢で手足を床に固定し、強烈なライトが点滅する中で、大音量のロックを聞かせ続ける拷問。ムスリムにとって何よりも大切なコーランも奪われて、アメリカ兵が小用をする場へ捨てられてしまいます。自由と民主主義の擁護を標榜するアメリカ政府・アメリカ兵によってこうした人権の蹂躙が平然と行われていることに戦慄を覚えます。その背景には、イスラム教や有色人種に対する蔑視・差別意識があるのでしょう。ただ「アメリカ兵を見つめてはいけない」というルールがあるので、「人間が人間にこのようなことをしていいのか」と問いただす視線に兵士は後ろめたさを感じ耐えられないのかもしれません。
 救いは二つ。「友人はお前を裏切った」という誘導尋問にもひっかからず、三人が互いを信じあい、拷問や虐待に耐えて最後まで身の潔白を訴え続けたこと。そして彼らを人間として遇するアメリカ兵が何人かいたことです。主人公の一人の背後に近づくタランチュラを踏み潰したり、ラップを聞かせてくれと声をかけたりするシーンは、漆黒の闇に一筋の光明がさすようでした。これは演出か事実かわかりませんが、そうした兵はすべて白人でした。暴言や虐待を行っていたのは黒人兵が多かったように思えます。ひどい差別を受けている者が、よりひどい差別を行うという構図が垣間見えました。

 今こうしている間にも、グアンタナモで、そして世界のいたる所で、こうした虐待や拷問が行われていることを想像するだけで暗澹とした気持ちになります。まずはその事実について関心を持ち知ることからはじめたいと思います。
 こうした行為を許容するアメリカ政府は確信犯なのでしょうが、現場の兵士たちはおそらく「自由と民主主義のため」という普遍的な原理を免罪符にして虐待・拷問を行っているのだと思います。普遍的な原理(ex.自由と民主主義)と国家的な原理(ex.アメリカ合州国の利益)が一つになった時、人間は強大な国家権力をバックにしてとてつもなく非人間的な行為をしでかしてしまうのでしょう。かつて日本も、普遍的な原理(ex.アジアの解放)と国家的な原理(ex.国体)を混淆して、惨禍をふりまいたのですから、経験済みのことです。またぞろ懲りない面々が登場しているのには呆れ果てますけれどね。この二つの原理をつねに峻別する知的習慣をぜひ身につけたいものです。

 近々「チョムスキーとメディア」を見に行く予定、これも楽しみな映画です。
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by sabasaba13 | 2007-02-14 06:05 | 映画 | Comments(0)
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