「ガンディー 反近代の実験」

 「現代アジアの肖像8 ガンディー 反近代の実験」(長崎暢子 岩波書店)読了。実は絶版です、それなのに推薦するなんて「教育的指導」ですね。しかし古本屋で見つけたら即購入、図書館で見かけたら即貸出をお薦めします。ガンディーの動きや運動を軸にインド独立までの動きを適確に手際よくまとめた好著です。著者の力量と読みやすい文章に頭をたれましょう。なお「中村屋のボース」の著者中島岳志氏が必死でその背中を追いかけている師匠というのが、この長崎暢子氏なのですね。その気持ち、よくわかります。

 ガンディーの政治家としての顔と思想家としての顔、その対比が興味深いですね。まずは前者です。言うまでもなく、彼の目標は統一インドの独立ですが、それを阻む宿痾が急進派と穏健派の対立、地域的対立、カースト間および社会集団間(ヒンドゥーとムスリム)の対立でした。こうした対立を融和させ、さらに宗主国イギリスとの交渉で実を得るために、彼はall or nothingではなくて力の限り妥協点を見出そうとします。まるで商人のように… そしてその妥協を阻まれた時には、断食によって民衆の同情を集め、その力を圧力にして相手をねじふせます。不可触民の分離選挙を主張したアンベードカルを屈服させた時もそうですね。まるで政治家のように… そしてサティヤーグラハという非暴力・不服従による抵抗。ガンディーのサティヤーグラハ(真理の把握)とは、悪法を犯し、犯したことを認め、刑に服する。しかし、その刑に服する人の多さ、論理の異常さによって、理はこちらにあることを権力者に思い知らせる、というものです。まるで聖者のように… なおこの闘い方は現在でも有効なのではないでしょうか。ガンディーの多様な戦い方には、学ぶべき点が多々ありますね。戦う時には、武器を選べ。

 そして一人の思想家として彼が追い求めたものは何か。彼が政治運動に入っていくきっかけの一つが、弁護士としての仕事のために赴いた南アフリカで受けた人種差別(一等車の切符を持っていたのに貨車に移された)でした。彼の思考の中に、有色人種に対する偏見という白人社会の病理を取り除きたいという願望が生れたそうです。人種差別を白人社会の「特徴」ではなく「病理」と捉えた点が凄いですね。つまりそれは治療により治癒すべきものであり、闘いによって叩き潰すものではなかった。彼はジョン・ラスキンの影響を受けたそうですが、同じくその影響を受けたウィリアム・モリスの言葉を思い出します。
 誰も敗者とならぬ戦いに参加しよう。たとえ死が訪れても、その行ないは永遠なり。
 もう一つの「病理」としてガンディーがあげたのが、自己の欲望の解放です。これに対して彼は自己の欲望の制御を説き、西欧近代文明を正面から弾劾していきます。彼がしばしば行った断食や、手織り布の奨励は、これと関連しているようです。そうした西欧近代文明の、そして人類全体を覆い尽くすにいたった「病理」を治癒することが、彼の生涯をかけての目標だったのではないでしょうか。あまりにも困難で遠い道程ですが、彼はその道を黙々と歩んでいきました。彼が愛唱していたタゴールの詩です。
 汝が声、誰も聞かずば、ひとり歩め、ひとり歩め。
 ムスリム連盟の指導者ジンナーによるパキスタンの分離独立を阻止できず、その失意のうちの1948年1月、ガンディーはムスリムに融和的すぎると非難したヒンドゥー青年の放った凶弾に倒れました。
by sabasaba13 | 2007-03-08 06:10 | | Comments(1)
Commented at 2007-06-04 03:51 x
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