三浦半島編(9):観音崎(07.3)

 ここからさらに進みT字路を右に曲がって緩やかな坂道を上っていくと「花の広場」に到着です。ここでやっとこのあたり一帯についての案内地図の看板を見つけました。広場ぞいに左に行くと「ご迷惑をおかけします」というポスターがありました。野戦服を着た防衛大学生八人のグループが公園内を走るということなのですが、いったい何のため? そしてめがね橋を渡ると「戦没船員の碑」があります。第二次世界大戦や海難事故で命を失った約六万人の船員たちの慰霊碑です。巨大なモニュメントに合掌。
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 そしてさらに先を行き、右手の煉瓦づくりのトンネルを抜けると、第三砲台跡の台座が残っています。ここは見晴らし台になっていて、浦賀水道を一望することができます。
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 そしてもとの道に戻り、数十m歩くと四つの砲座と弾薬庫がのこる北門第二砲台跡です。1884(明治17)年に完成ということなので、かなり初期の物件ですね。
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 その先にあるのが東京湾交通センターです。ここを右に曲がり坂道をおり、T字路を左へ行くと日本初の洋式灯台、観音埼灯台があります。1866(慶應2)年、幕府は欧米諸国と改税約定を結んだ際に、灯台の設置を約束しました。明治新政府がその約束を引き継ぎ、横須賀製鉄所首長のフランス人技師、フランソワ・ヴェルニーが建設を担当して1869(明治2)年に完成させたものです。残念なことに地震で二度崩壊し、現在のものは1925(大正14)年につくられた三代目です。ここは燈光会という団体が管理しており、内部を見学できるのですが、たまたま内装の改修工事が行われており見学不可。でも灯台をつくるだけあって、ここからの眺望は抜群です。対岸の房総半島もクリアに見渡せ、観音崎-富津岬が東京湾でもっとも幅が狭い要衝であることがよくわかります。すぐそばには「霧いかに深くとも嵐強くとも」という高浜虚子の句碑がありました。
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 本日の二枚は、観音埼灯台と、灯台からの眺めです。
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by sabasaba13 | 2007-05-12 07:01 | 関東 | Comments(2)
Commented by facuto at 2007-05-21 07:58
はじめまして。DAYS JAPAN、時々ですが、買って読んでいます。歴史問題は、正直ワケが分かりません。どの資料が正しいのかな、と。観音埼灯台、美しいですね。
Commented by sabasaba13 at 2007-05-21 19:42
 こんばんは。お買い上げいただきありがとうございます。朝日新聞の一面に広告が載っていたので驚きましたが、売上が伸びているのかな。
 歴史問題はほんとうに難しいのですが、私にはかえってそれが魅力ですね。こんがらがった毛糸をときほぐせば、未来への展望が見えてくるのでは。
 灯台の写真をまとめて載せようかと考えています。空と海とに染まらずに屹立する孤高の姿、いつ見ても惚れてしまいます。
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