三浦半島編(10):観音崎(07.3)

 陽光の中で屹立する白亜の灯台に別れを告げ、さきほどのT字路を右に行くと北門第一砲台跡です。1884(明治17)年につくられた、洋式砲台の嚆矢ということです。二つの砲座が扇形に配置され、それをトンネルが結ぶ構造になっています。
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 海沿いの道路に出ると、観音崎自然博物館があります。少し先に行った第六駐車場の左にあるのが、本土決戦に備え敵の上陸艦艇を狙撃するためにつくられたトーチカです。頑丈なコンクリート製で直方体の形状、海側には銃口が開けられています。本土決戦… 昭和天皇・軍人・官僚が自分たちの権力・権威のよりどころである天皇制を死守するために、米軍を本土に上陸させて打撃を与え有利な講和に持ち込もうとしたわけですね。マリアナ沖海戦の敗北によりサイパンテニアン・グアムを奪われた時点で敗北は必至であったのに、天皇制を守るための一撃を画策して戦争をずるずると長引かせたのが彼等です。もしそこで降伏をしていれば、多くの玉砕や餓死、各都市への無差別爆撃、沖縄戦、そして広島・長崎への原子爆弾投下は避けられたのに。トーチカの冷たくざらざらした表面に手を触れると、あらためて怒りがこみ上げてきます。彼等は、己の保身のために、本気で一般市民を巻き込んだ本土決戦をやろうとしていたんだ。歴史を物語る貴重な遺構です、ぜひ未来永劫保存してください。
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 ここから海沿いにつくられた気持ちのよい遊歩道を歩いて、最初に到着した地点に戻りましょう。春の日に輝く房総半島や浦賀水道、行き交う船を眺めながらの快適な散歩です。途中に、西脇順三郎の詩碑「燈台へ行く道」がありました。彼は子息の遠足に同行して以来、この当たりを気に入りしばしば訪れたとのことです。その先には観音寺跡の碑。行基が航海安全を祈願して十一面観音を納めたのが、その由来だそうです。
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 本日の二枚は、本土決戦のためのトーチカと、遊歩道からの眺望です。
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by sabasaba13 | 2007-05-13 08:31 | 関東 | Comments(2)
Commented by さっと at 2007-05-13 21:41 x
「昭和天皇・軍人・官僚が自分たちの権力・権威のよりどころである天皇制を死守するために」とありますが、やっぱり、天皇制維持への画策に天皇さんも加わっていたのでしょうか。
Commented by sabasaba13 at 2007-05-14 19:40
 こんばんは。『昭和天皇独白録』によると、朝香宮鳩彦の「講和は賛成だが、国体護持が出来なければ、戦争を継続するのか」という質問に「勿論だと答えた」そうです。加わっていたどころか、裕仁氏はその中心人物だったと思います。また同書に「なぜ終戦の決断をしたのか」という質問に対して「敵が伊勢付近に上陸すれば伊勢・熱田両神宮は直ちに敵の制圧下に入り、神器の移動の余裕はなく、その確保の見込みがたたない、これでは国体の護持は難しい」と答えたとのこと。やれやれ…
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