三浦半島編(11):ヴェルニー公園(07.3)

 バス停に到着し、ここから一気にJR横須賀駅まで行ってしまいましょう。この駅舎は1940(昭和15)年につくられたもので、将棋の駒のようなマンサール屋根風のファサードにメダリオンのような飾りがある、ちょっと変わった意匠です。階段がなく直接ホームに行ける駅として有名だそうです。
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 その右手にあるもと派出所らしき建物の窓には頑丈な金網がついていました。反基地闘争がさかんだった時代の名残なのでしょうか。駅から歩いてすぐのところにあるのがヴェルニー資料館。彼はフランス人技師で、江戸幕府に招かれて横須賀製鉄所の建設に尽力、明治維新以後も観音埼灯台や水道施設の建設や、煉瓦製造、さらには日本人技術者の養成など、日本の近代化に貢献した人物です。
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 残念ながら資料館は休館日で見学はできず、その前にあるヴェルニー公園を散策することにしました。ここにはヴェルニーと小栗上野介忠順の胸像があります。小栗忠順、彼の名を聞くと心が震えます。1827(文政10)年に幕臣の子として誕生、万延元年(1860)に日米修好通商条約批准のため渡米、地球を一周して帰国しました。その後勘定奉行、軍艦奉行などを務め、財政再建や日本初の株式会社(兵庫商社)の設立や郵便制度と鉄道建設の計画、フランス公使レオン・ロッシュに依頼しての洋式軍隊の整備、横須賀製鉄所の建設などを行います。幕末期には徳川慶喜の恭順に反対し、徹底抗戦を唱えたと言われます。(これについては諸説あり) 1868(慶応4)年に辞職して上野国群馬郡権田村に帰郷しますが、同年薩長軍に逮捕され烏川のほとりで斬首されてしまいます。ま、要するに明治政府の行った近代化政策のほぼすべての面において先鞭をつけた能吏だったのですね。「小栗上野介は謀殺される運命にあった。明治政府の近代化政策は、そっくり小栗がおこなおうとしたことを模倣したことだから」という大隈重信の言葉がありますが、その才能を怖れた薩長勢力が謀殺した可能性もあります。彼は、アメリカで見た重工業の総合工場をつくって日本の近代化が進めようと幕閣を説得し、ヴェルニーと共に江戸湾を見まわって、絶好の場所・横須賀を見つけて横須賀製鉄所を建設します。現地を指揮した栗本鋤雲は明治中頃に当時を思い出しこう語っています。「小栗は、これが出来上がれば、土蔵付き売家の栄誉が残せる、と笑った」 いい言葉だなあ。彼は幕府の滅亡を見越した上で、日本の近代化に必要な施設として横須賀製鉄所をつくったのですね。先見の明、広い度量、そして並外れた才能。私は彼のことを学校の授業で教わった記憶がありません。なぜ歴史教育が彼の存在を無視してきたのか、一考の価値はあります。おそらく江戸幕府の後進性と明治新政府の進歩性・正当性を子どもたちにすりこむためには、目障りな人物だからでしょう。なお彼に興味がある方は、「持丸長者 幕末・維新編 日本を動かした怪物たち」(広瀬隆 ダイヤモンド社)、「覚悟の人 小栗上野介忠順伝」(佐藤雅美 岩波書店)をご覧ください。二人の胸像の近くには、軍港時代の面影をとどめる「逸見波止場衛門」が残されています。
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 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2007-05-14 06:10 | 関東 | Comments(0)
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