神戸・南紀編(4):神戸(02.3)

 本日は、神戸市内の徘徊。阪神・淡路大震災のこと、そしてその爪痕をぜひ知りたいと思い、前日に三宮にあるフェニックスプラザ(阪神・淡路大震災復興支援館)で「震災モニュメントマップ」を手に入れ、ここで当時の映像を見、資料を読み、多少勉強したつもりです。1999年1月17日午前5時46分、兵庫県南部を襲ったM7.3の都市直下型大地震。死者6,400人、負傷者40,092人、全壊・全焼の家屋111,123棟。そして人類が初めて経験した高齢化社会を直撃した大災害であるということ。というわけで長田区・兵庫区・中央区を中心に、慰霊碑・折れた鳥居・崩れた橋桁・火災で変形した街路灯・歪んだ歩道などを見て歩きました。神戸の街はハード面ではほぼ復興しており、こうしたモニュメントを見ながら、頭一杯想像力を働かせたつもりです。もちろん、限界は認めますが。例えば、一体何%ぐらいの人が元の町で元のような暮らしができるようになったのか? PTSD(post traumatic stress disorder)の方の治癒は? 致命的な失策を重ねた行政サイド(特に政府)は、反省を生かしているのか、あるいは反省していないのか?
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 特に印象的だったのが、長田区の鷹取です。中央の公園から四方に連なる家並みがほとんど新築であるのが、逆に被害の凄まじさを物語っています。そしてこの地区の掲示板・地図をふと見ると、「神戸定住外国人支援センター」という施設と、英語・ハングル・タガログ語(?)・中国語の四ヶ国語での表記が。関東大震災(1923)時の朝鮮人・中国人虐殺のような事件が発生しなかった背景にはこうした事があったんですね。納得。“国際化”とか“共生”とか簡単に言うけれど、日々異文化をもつ人々と向き合い、支援し、助けられる覚悟を持ち続けることじゃないのかなあ。口で言うのは容易ですけれどね。ただ、こうした覚悟というか雰囲気は、神戸という風土が古くから持っているような気がします。少なくとも東京ではあまり感じません。いずれにせよ、“国家”(注:ここではその国を支配している権力と仕組みという意)によって、人間がバラバラに分割され、レッテルを貼られる状況はなくさなきゃ。「全世界は哲学する者にとって流謫の地である。」というサン=ヴィクトールのフーゴーの言葉を思い出します。
 兵庫区(平清盛が大輪田泊を築港したところ)は、一遍上人の終焉の地だったんですね。廟を発見しました。地下鉄で旧居留地に戻り、神戸市立博物館でザビエルの肖像(複製!)を拝見し、北野の異人館めぐりへ。
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 本日の一枚は震災モニュメントです。
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by sabasaba13 | 2007-05-26 05:59 | 近畿 | Comments(0)
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