神戸・南紀編(11):新宮(02.3)

 まずは彼らが眠る南谷墓地へ。大石誠之助・高木顕明・峰尾節堂の墓参。誠之助の墓に供えられた献花が印象的でした。合掌。高木顕明の墓にそえられた真宗大谷派(東本願寺)の顕彰碑文が心に残りました。
 …顕明師は、…浄泉寺の住職となり差別と貧困のただ中にあった当時の被差別者に同苦同悲して、共に教法の生きようとした。日露戦争が起こると非戦を唱え、新宮に置娼問題が起こると廃娼を訴えたのも、ひとえに、誤れる国家主義を批判し仏法に生きようとしたためである。…やがてそのことによって師が「大逆事件」に連座するや、大谷派は住職を差免し、死刑判決と同時に擯斥(ひんせき)に処した。顕明師の遺族もまた新宮を追われ、苦難の道を歩まれたのである。しかしこのたび、時の宗門当局が国家に追随して行った師への遺憾なる行為とそれを今日まで放置してきた宗門の罪責を深く慙愧し心から謝罪して、1996(平成8)年4月1日、住職差免及び擯斥処分を取り消した。
 これは勇気と品性にあふれた碑文ですね。敬意を表します。こうした謝罪と反省をしなければならない組織はもっとたくさんあるはずですが、寡聞にしてこうした碑を建てた事例は知りません。
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 そしてすぐ近くにある徐福公園・阿須賀神社・蓬莱山へ。このあたりにも徐福伝説が伝えられているのか。徐福は、秦の始皇帝の命を得て東海島(日本?)の蓬莱山にあると伝えられている不老不死の仙薬を求めて東海へと旅立たったとされています。その時にはたくさんの童男童女を連れていたといも言われ、これは司馬遷の「史記」にも記載されているそうです。この徐福が到来したとされている場所が、日本全国にたくさんあるのですね。もしかしたら始皇帝の苛政を逃れるための集団移民のことかもしれません。明日はわが身、くわばらくわばら…
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 そして佐藤春夫記念館(ここでもらった新宮文学散歩地図が大変役にたちました)と熊野速玉神社を見学。熊野三山の一つ、全国に祀る数千社の熊野神社の総本宮です。なおここには川原家という珍しい折り畳み式家屋がありました。江戸時代に、熊野川の川原に住み着いた人々が考案したもので、釘を使わずに簡単に解体・組立ができるように工夫されています。雨と大水が多い熊野ならではの物件ですね。
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 神社のすぐ近くにある大石誠之助宅跡を確認。そして神倉神社(ご神体はゴトビキ岩という巨石)に行きましたが、ここの石段はすさまじい! いろんな石段を登りましたが、その急傾斜・無秩序さにおいて比類なきものです。石段はこうでなくちゃいけねえ。上からの眺めが素晴らしいので、登攀する価値はあると思います。
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 本日の一枚は、ゴトビキ岩です。
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by sabasaba13 | 2007-06-06 05:48 | 近畿 | Comments(0)
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