市ヶ谷刑場跡・正春寺(07.5)

 先日、都内の大逆事件関係の物件を二つ廻ってきたので紹介します。
 まずは事件の犠牲者十二人が処刑された市ヶ谷刑場跡です。都営新宿線曙橋駅でおり、住吉町交差点から台町坂を新宿方面へ十分ほどのぼると、左手に余丁町児童遊園があります。この公園の奥に富久町児童遊園という小さな公園がつながっています(新宿区余丁町4)。このあたりが刑場跡で、かたすみに「刑死者慰霊塔」があります。建てたのは日本弁護士連合会で(1964.7.15)、ここで殺された290余名の慰霊とともに、大逆事件再審請求を応援する意味が含まれているそうです。ブロックで頑丈な囲いが作ってある、かなり大きな石碑でした。“大逆事件”とおおっぴらに刻めない「空気」があったのかもしれません。「ここで殺されたのか…」 五月とは思えない灼熱の陽光の下、公園に佇んでいると立ち眩みを覚えました。国家権力に抗う者は殺す…
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 都営地下鉄十二号線都庁前駅から代々木方面に十分ほど歩くと、管野スガの墓がある正春寺です(渋谷区代々木3丁目)。本堂の裏手に小さな墓地があり、その中央にかつて墓標がありそれが朽ちたので記念碑が建てられたようです。前面には「くろかねの窓にさしいる日の影の移るを守りけふも暮しぬ 幽月女史獄中作」という彼女の歌が刻んであります。背面には「革命の先( )者 ( )管野スガここにねむる 1971年7月11日 大逆事件の真実を明らかにする会 これを建てる」という一文。碑にしずかに触れると、彼女の無念の思いが伝わってくるようです。国家権力に抗う者は殺される…
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 わたしたちの内面を無意識に縛り付けているこの鉄則を維持するために、政府は死刑制度を存続させているのかもしれません。
 そういえば三年後は、大逆事件百周年です。日本という国家は何が変わり、何が変わらなかったのか。きちんと検証しつづけましょう。

 本日の二枚です。
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 追記。大逆事件に関する当時の知識人の反応です。
石川啄木

やや遠きものに思ひしテロリストの悲しき心も― 近づく日あり
時代閉塞の現状を奈何にせむ秋に入りてことに斯く思ふかな
秋の風我等明治の青年の危機をかなしむ顔撫でゝ吹く
何となく顔がさもしき邦人の首府の大空を秋の風吹く
明治四十三年の秋わが心ことに真面目になりて悲しも

一月一八日 日本はダメだ。一月一九日 朝に枕の上で国民新聞を読んでゐたら俄に涙が出た。「畜生! 駄目だ!」さういふ言葉も我知らず口に出た。(日記より)

我々青年を囲繞する空気は、今やもう少しも流動しなくなつた。強権の勢力は普く国内に行亘つてゐる。現代社会組織は其隅々まで発達してゐる。-さうして其発達が最早完成に近い程度まで進んでゐる事は、其制度の有する欠陥の日一日明白になつている事によつて知る事が出来る (『時代閉塞の現状』より)

徳富蘆花

 諸君、幸徳君は時の政府に謀叛人と見做されて殺された。が、諸君、謀叛を恐れてはならぬ。…新しいものは常に謀叛である。肉体の死は何でもない。恐るべきは霊魂の死である。人が教えられたる信条のままに執着し、言わせられたるる如く言い、為せられるる如くふるまい、型から鋳出した人形の如く形式的に生活の安を偸んで、一切の自立、自信、自立自発を失う時、即ち是れ霊魂の死である。(『謀叛論』より)

永井荷風

 明治四十四年慶応義塾に通勤する頃、わたしはその道すがら折々市ヶ谷の通で囚人馬車が五六台も引続いて日比谷の裁判所の方へ走つて行くのを見た。わたしはこれ迄見聞した世上の事件の中で、この折程云ふに云はれない厭な心持のしたことはなかつた。わたしは文学者たる以上この思想問題について黙してゐてはならない。小説家ゾラはドレヒユー事件について正義を叫んだ為め国外に亡命したではないか。然しわたしは世の文学者と共に何も言わなかつた。わたしは自ら文学者たることについて甚しき羞恥を感じた。以来わたしは自分の芸術の品位を江戸戯作者のなした程度にまで引下げるに如くはないと思案した。(『花火』より)

森鴎外

 「あれはなんの塔ですか。」「沈黙の塔です。」「車で塔の中へ運ぶのはなんですか。」「死骸です。」「なんの死骸ですか。」「パアシイ族の死骸です」「なんであんなに沢山死ぬのでしょう。コレラでも流行っているのですか。」「殺すのです。また二三十人殺したと、新聞に出ていましたよ。」(『沈黙の塔』より)

夏目漱石

 寒い空と、新しい刑壇と、刑壇の上に立つ彼の姿と、シャツ一枚でふるえている彼の姿とを、根気よく描き去り描き来ってやまなかった (『思い出すことなど』より)

by sabasaba13 | 2007-06-09 08:20 | 東京 | Comments(4)
Commented at 2008-02-14 11:09 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by sabasaba13 at 2008-02-14 21:20
 こんばんは、E.S.さん。ほんとに粗末な知恵ですが、よろしいのでしょうか。メール・アドレスを教えていただければ、そちらに連絡したいと思います。それでは。
Commented by yamanohon at 2008-10-31 15:14
はじめまして
  この5年間、1月24日に花を手向けに赴いています。
 
 大逆事件に関してはデータをアップしています。
http://members2.jcom.home.ne.jp/anarchism/miyashita.html
 ご存じか、ご参加をしたことがあるかもしれせんが「真実をあきらかにする会」は毎年1月24日前後の土曜に正春寺で追悼の集まりを開いています。

 東京監獄跡地の刑死者慰霊碑
 http://d.hatena.ne.jp/futei/20080125

 正春寺の管野須賀子の墓碑の項
 http://d.hatena.ne.jp/futei/20080126

 他の墓碑に関して
 都営青山霊園、古田大次郎の墓≪古田氏の墓≫と刻まれています。
 http://d.hatena.ne.jp/futei/20081015

日帝からの解放直前に獄死した韓国人青年の遺骨、墓碑調査同行画像
 http://anarchism.exblog.jp/8722945/

 大阪・真田山陸軍墓地と韓国・光州市の「光州抗争」国立墓地
 http://yamanohon.exblog.jp/8394339/

 韓国ムンギョン市、金子文子の墓碑と墳墓、朴烈記念館≪外側だけ完成≫
 http://yamanohon.exblog.jp/8421985/
Commented by sabasaba13 at 2008-11-01 20:12
 こんばんは、yamanohonさん。貴重な情報やデータを教示していただき大変嬉しく思います。これからじっくりと拝見させていただきます。
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