「カラヤンとフルトヴェングラー」

 「カラヤンとフルトヴェングラー」(中山右介 幻冬舎新書022)読了。いやあ面白かった! クラシック音楽と歴史に興味がおありでしたら、必読です。ヒトラー支配下のドイツで、ユダヤ人演奏家を含めた音楽界を守るためと自ら信じて、亡命をせず抵抗しながらもナチに協力しドイツ音楽界の「帝王」として君臨し続けた指揮者フルトヴェングラー。その王座を狙い、あらゆる手段を使って追い落としを企む才能と野心にあふれた若き指揮者カラヤン。この両者の対立、抗争、憎悪、謀略を軸に、さまざまな人物がうごめいていきます。フルトヴェングラーをナチの宣伝塔として利用しつくそうとするゲッベルス、彼に対抗するためカラヤンをひきたてるゲーリング、ほぼ手中にしたベルリン・フィル主席指揮者の座を様々な理由から奪われてしまうチェリヴィダッケ、反ファシズムの闘士として彼を批判するトスカニーニ、ナチにすりよりバイロイトを守ろうとするヴィニフレッド・ワーグナー。うーん、まるでワーグナーの楽劇のようです。時系列にそってきちんと整理された叙述によってこの時期のドイツ音楽界の状況をクリアに理解できました。そしてライバルを蹴落とし「帝王」の座に居座るための、両者の権謀術数には驚愕。フルトヴェングラーがその名声と権力を使って攻め立て、カラヤンはその猛攻に耐え忍びながら反撃の機会を狙います。ただ何故彼がカラヤンをこれほど憎むのかは明確には分かりません。かつて「天国から地獄まであらゆる手段」を使ってブルーノ・ワルターを蹴落とした自らの姿とカラヤンを重ね合わせていたのでしょうか。過去の亡霊に怯える帝王…
 またヨーロッパにおける音楽の重要性についても、あらためて思い知りました。偉大な音楽家を庇護することが、その国の文化的正統性を保証するという根強い伝統ですね。そのためにヒトラーは、あらゆる手練手管を用いてフルトヴェングラーの名声をナチのために徹底的に利用します。それに抵抗をしながらも、結局はナチの正統性を証明する立場を放棄できなかったフルトヴェングラー、たしかに甘いといわざるをえません。以下、引用します。
トスカニーニ「貴方はナチだから、(ザルツブルクから)出ていきなさい。党員ではなくても、ドイツにいる以上、ナチです。今日の世界情勢では、奴隷化された国と自由の国の両方で同時にタクトをとることは芸術家として許されません」
フルトヴェングラー「音楽家にとっては自由な国も奴隷化された国もないと私は考えます。ワーグナーやベートーヴェンが演奏される場所では、人間は自由なのです。私が偉大な音楽を演奏し、たまたまそこがヒトラーの支配下にあったとしたら、それだけで私はヒトラーの代弁者となるのでしょうか。偉大な音楽は、むしろナチの無思慮と非情さに対立するものですから、私はヒトラーの敵になるのではないでしょうか」
 本書を読んだかぎりでは、まず彼自身の臆病さが原因の一つでしょう。戦後に起きたソ連によるベルリン封鎖(1947)の際、彼は市民を見捨ててベルリン・フィルとのコンサートをキャンセルしています。さらには偉大な音楽の前ではすべてが正当化されるという信念が、彼を最後まで縛っていたのでしょうか。

 というわけで、「人間的な、あまりにも人間的な」お話です。「のだめカンタービレ」人気でクラシック音楽に興味をもつ方も増えているようなので、テレビ・ドラマ化をしてはいかがでしょうか。役者について詳しくないので、物故された方を含めてこのような配役を考えてみました。フルトヴェングラーは笠智衆、カラヤンは伊武雅刀、チェリヴィダッケは竹中直人、トスカニーニは忌野清志郎、ゲッベルスは佐野史郎、ゲーリングはハナ肇、ヒトラーは安倍晋三。なお安倍伍長が参議院選挙惨敗の責任逃れで多忙でしたら、代役はイッセー尾形で決まり。

 なお本書に下記のような記述がありました。
 ドイツでは首相としてバイロイトに行けば、必ず「ヒトラー以来初めて」と報道される。歴代のドイツ首相は、そうなることを避けてきた。戦後のドイツ首相がこの音楽祭に初めて出席するのは、再開から半世紀以上過ぎた2003年のことだった。日本の小泉首相が本場でオペラを見たいという理由で政府専用機を飛ばしてヨーロッパ歴訪をした際の、あのバイロイト訪問時である。日本の首相を出迎える以上、ドイツもシュレイダー首相が行かなくてはならないという大義名分が立った。
 ええ覚えていますとも。私たちの血税を使い能天気に遊び歩いた軍曹と、それを批判しないメディアや国民、はらわたが煮えくり返ったことは忘れません。ただその時にこうした事実があったことはまともに報道されていなかったのではないでしょうか。「ばいろいとでわあぐなあがききたいよおおお」と駄々をこねる小泉元軍曹には、そうした複雑な感情に想いを馳せる能力はなかったでしょう。しかしシュレイダー首相の心中はどうだったのでしょうか。これで悪夢に終止符を打てると安堵したのか、あるいは外交上の理由による苦渋の選択だったのか。後者だとしたら、軍曹の行為は絶対に許されません。いずれにせよ、戦争犯罪に対して慎重な姿勢をとるドイツと、無頓着な日本、戦後の両国の姿をよくあらわすエピソードですね。
by sabasaba13 | 2007-08-05 07:04 | | Comments(3)
Commented by coici sato at 2011-04-10 12:09 x
フルトヴェングラーが演奏会をキャンセルしたのは事実かもしれませんし、良いことではないかもしれません。
しかし、その後彼は、ベルリン封鎖の真っ最中でもベルリンで演奏会を行っています。
戦時中にナチスに反発しながらドイツに留まり、実際に何人ものユダヤ人の命を救い、ゲシュタポに命を狙われた彼を、甘い、臆病、と断罪(されているつもりがなくてもそう見えます)できるほどのこととは思えませんし、また、その彼を断罪できるほど、あなたは命をかけて何人もの人の命を現実の上で救ったことがあるのか、疑問です。
何もしていない人を批判されるのは結構です。
命に危険が及ぶことを実行し、そのことで人の命を守ったことがある人を、その人が人の命を奪うことに加担した訳でもないのに、軽々しく批判されるのは、とても失礼に感じます。
少なくとも、僕は、この記述を読んで、はらわたが煮えくり返っています。
Commented by sabasaba13 at 2011-04-10 17:59
 こんにちは、coici satoさん。ご批判をありがとうございました。すこし反論したいとおもいますのでおつきあいください。本書で中山氏が問題にされているのは、フルトヴェングラーが抵抗したとはいえ、結局はナチスの宣伝塔となり、その正統性を証明したという事実だと思います。それを氏は「甘い」「臆病」と指摘され、私も共感しました。satoさんは、フルトヴェングラーが危険を賭してユダヤ人を救ったのだから、それは不問に付すべきだし、仮に批判するにしてもそれができるのは彼と同様に何人もの人の命を救った者だけだ、というお考えだと思います。前者についてはできないと考えます。もちろんユダヤ人を救ったのは崇高な行為ですが、彼のような不世出の偉大な音楽家がナチスに協力したという事は、それとは分けて批判すべきだと思います。ヨーロッパにおける音楽の重要性を考えてみても、その行為は大きな影響力をもったことでしょう。
Commented by sabasaba13 at 2011-04-10 17:59
後者についても異を唱えます。私は、誰もが、全てに対して、自由にかつ論理的に(誰もが納得できるように)価値判断を与える行為を“批判”だと考えています。批判する人間と、批判される人間が、同等の行為をしていなければならないということになったら、“批判”という行為が存在する余地がなくなってしまうのではないでしょうか。何人もの人の命を救った者でなければ、フルトヴェングラーを批判することはできないということでしたら、彼を批判できる人間はいかほどいるのでしょうか。
 付言しますが、私は彼が奏でる音楽が大好きです。しかし彼の素晴らしい音楽性と、社会的な行動については、峻別すべきだと思います。
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