「言論統制列島」

 「言論統制列島 誰もいわなかった右翼と左翼」(鈴木邦男・斎藤貴男・森達也 講談社)読了。右翼運動家の鈴木氏、ジャーナリストの斎藤氏、映像作家の森氏による鼎談です。右翼と左翼という色分け/レッテルではなく、斎藤氏曰く「一生懸命ものを考える人と、ものすごく短絡する人」という視点から今の日本社会を鋭く分析・批判していますが、とれたての大間崎産マグロ(食べたことないけど)のような活きのいい言葉が縦横無尽に飛び交います。テーマは、天皇制から二世議員、憲法、メディア、教育、ジェンダーなどなど多岐にわたりますが、一貫する通奏低音は「思考停止」ですね。考えるのをめんどくさがると社会はどうなってしまうのか、現代日本を格好の素材にして考察するその手際はお見事です。とてもとてもまとめきれないので、考えるヒントにしたいいくつかの文を引用します。(これも思考停止ですね、自戒)
森 日本全体が一つの組織共同体になろうとしている。その過程で異物を排除する。つまり粛清です。このときの組織論的ダイナミズムは確かに左翼的体質なのだけれど、表層的に現れるのは、国家の誇りや民族の自尊心などの右翼的語彙。だから歪なんです。

斎藤 (強硬派には二世・三世議員が多い) 五十、六十にもなって親の七光りで権力を握っているだなんて普通なら恥ずかしくて首をくくりたくなると思うんだけれど、彼らはそうではなくて、国を背負った気になっちゃうことができるんです。…少なくとも偉そうに金正日をバカにできた義理ではないね。

森 国旗・国歌には全然愛着がない。でもこの国を愛しています。…彼女の服や靴を愛せと言われても困る。嫌いじゃないけれど、それはやはり彼女とは別な存在なのに。

斎藤 日本の場合、天皇制が仮になくなったら、それは植民地になったも同然という雰囲気が出てきちゃうと思う。…ただでさえ植民地みたいなんだから、これだけは、というのがあるような気がします。

斎藤 被害者としての戦争だけしか考えたことがないと、海外派兵も戦争のできる憲法も、特に悪いことだと思えなくなるんですよ。だって今の日本あるいは米日連合軍、というより日本の親会社であるアメリカは世界最強なんだから。どこで何やったって、おれたちが巻き添えを食うことはないじゃん? だったら戦争も、"国益"になるんならOKかも、なんて思考回路に、今この国は完全に陥っています。

森 (国際貢献について)話し合う前に、実態を知らなければいけない。例えばサマワに駐留する自衛隊員の特別手当が一日あたり一人約二万円であるとか。

斎藤 要は、世の中乱れたから、おれたち貴族(※二世議員)がすべて決めてやるっていう感じ。企業には限りない自由を、しかし個人一人ひとりには限りない隷従を。

森 縛られていることに、みんな気づかないままに縛られている。だれに縛られているかといえば、自分たちです。相互監視。
斎藤 そういうことです。で、利便性だけは与えられるわけ。
森 だから僕はね、北朝鮮みたいな独裁者国家のほうが、支配されているという自覚がある分、まだましな側面があると思う。…一番の問題は、自覚がないこと。だから抑止や抵抗の発想も生れない。…だって対抗すべき相手は自分たちなんだから。
斎藤 打倒・金正日って言うのもできないわけです。
森 できない。打倒日本社会、になっちゃうからね。

森 敵討ちの概念を否定することが重要な要素であったはずの近代司法が、遺族の心情を理由に、いつの間にか国家による復讐を果たす装置になりつつある。
 お気づきのように、鈴木氏の語りはほとんど印象に残りませんでした。奔馬の如く駆け回る斎藤氏がバド・パウエル(p)、ビシビシと適確に力強くそれに応える森氏がマックス・ローチ(ds)、影は薄いけれど堅実な鈴木氏がカーリー・ラッセル(b)といったところかな。鈴木さん、がんばれ!
by sabasaba13 | 2007-09-26 06:06 | | Comments(0)
<< 「若い芸術家の肖像」 中国編(7):北京(02.3) >>