別所温泉・稲荷山・姨捨編(8):無言館(07.7)

 そして無言館前のバス停に到着。画商の窪島誠一郎氏が集めた、戦没した画学生の描いた絵を展示してある美術館です。坂道をのぼっていくと途中に「第二展示館・オリーヴの読書館 建設用地 竣工予定2008年秋」という看板がたっていました。収蔵作品が増えたので第二展示館建設に着手したというニュースを見ましたが、計画は進んでいるようです。そして修道院のような無言館に到着。展示されている作品を見ると、芸術の道なかばにして戦場へと行かざるを得なかった無念さを、ひしひしと感じます。中でも日高安典氏の描いた「裸婦」という作品が印象的でした。以下のような解説がありました。
 あと五分、あと十分、この絵を描きつゞけていたい。外では出征兵士を送る日の丸の小旗がふられていた。生きて帰ってきたら必ずこの絵の続きを描くから… 安典はモデルをつとめてくれた恋人にそういいのこして戦地に発った。しかし安典は帰ってこなかった。
 佐藤孝氏の最後のノートにはこう書かれています。
 一、私には既に私に與へられた運命がある。一、私には私だけしか持てぬ世界がある。一、作画の少なきを残念に思う。
 彼らから生命と時間と芸術を奪った責任は誰にあるのか。その責任をきちんととったのか。彼らは黙して語りませんが(もちろん検閲があったので真情は吐露できないのでしょうが)、中村萬平氏の父母への手紙の一節が心にひっかかりました。
 内地、大分暖かいやうですね。其後は濱松も変り無い事と思います。赤ん坊は元気ですか。元気でいるのか幸せなのか不幸なのかわかりません皆んなのおもちゃにして、教育をあやまらぬやう願います
 戦前期日本におけるあやまった教育への痛烈な批判を、こういう形で婉曲に表現したのかもしれません。
 ただ忘れてはいけないのは、彼らによって殺された異国の画学生がいたのかもしれない、あるいは彼らによって虐殺・強姦・掠奪を受けた異国の民衆がいたのかもしれない、ということです。被害者が加害者になる、この構図があるかぎりこうした傷ましい悲劇は絶えることはないでしょう。遺族の心情を考慮したのでしょうか、そうした趣旨のコメントは一切ありませんでした。ただ館の前にあるモニュメント「記憶のパレット」に、「私たちの芸術と 私たちの銃の前にあった すべての芸術のために」という言葉が刻んでありました。窪島氏の、研ぎ澄まされたメッセージなのかもしれません。見終わって外に出ると、世界を灰色に覆いつくす小糠雨。「もう二度と被害者も加害者も傍観者もつくらないでくれ」と叫ぶ戦没画学生たちの涙雨のような気がします。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2007-10-28 09:06 | 中部 | Comments(0)
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