別所温泉・稲荷山・姨捨編(12):荒砥城跡(07.7)

 翌日は快晴。予約していたレンタカーを上田で借りて、蔵の町・稲荷山→姨捨の棚田→宇坪入の棚田・芝生田の棚田(小諸の近く)→稲倉の棚田(上田の近く)という旅程を組んでみました。とりあえず行き当たりばったり、無理なら即断念、また来りゃいいや、後は野となれ山となれ、人生万事塞翁が馬、といういつもの心構えでいきましょう。宿の車で戸倉駅まで送ってもらい、駅前の風景を眺めていると、やたらと窓が多い倉庫がありました。かつて繭を収納していたのかもしれません。
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 そして列車に乗り込み、しなの鉄道上田駅で下車、車を借りてさあ出発です。バイエルンの黒いたぬ、もとい鷲こと山ノ神は抜群のドライビング・テクニックで、千曲川ぞいの北国街道(国道18号線)を西へ西へと駆け抜けていきます、運命の時、10時13分にはまったく気づかずに…
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 ここでふと気になったのが上山田温泉背後の山頂付近にある荒砥城跡。NHK大河ドラマ「風林火山」や戦国時代の戦いにはあまり興味はないのですが、山城を復元してあることと眺めが良さそうなことに心惹かれます。車でしかいけそうもないので、山ノ神と協議の結果、寄ってみることにしました。上山田温泉に戻り、裏山の急峻な坂道を駆け上ること十分ほどで到着。このあたりは千曲川の両岸の距離が極端に狭まっており、佐久、上田方面から善光寺平へ出る直前の関門になる要衝の地です。もともとこの城は村上氏の一族である山田氏のものとされているが詳細は不明だそうです。村上氏から武田氏の時代に変わると屋代氏の持城となり、さらに上杉景勝が武田氏滅亡後進出、この城は周辺の地方豪族による城番管理がされました。1583(天正11)年、城主屋代秀正は徳川家康に内応し、荒砥城に立てこもったが、上杉方の猛攻で脱出しその後廃城となったとのこと。
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 櫓、兵舎、門、館が復元されているのですが、何といってもその眺望の素晴らしさに脱帽。櫓にのぼると、悠然と流れる千曲川、戸倉上山田温泉の街並み、そして右手には上田、左手には更埴のあたりまで一望できます。もう気分は戦国時代の城主、写真をばしゃばしゃ撮りながら、爽やかな風と雄大な眺望を満喫いたしました。
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 でもこうして高みから睥睨すると、下界で蠢いている一人一人の暮らしや人生に思いは及ばなくなるでしょうね。「第三の男」のハリー・ライムのように… もしかしたら戦国時代の領主たちも、こうして下界を眺めながら「あのへんまで攻めたれ」とか「あそこの領地を取ったれ」とか勝手に考えていたのかもしれません。民衆の日々の暮らしなど一顧だにせず。現在の政治家諸氏の発想もほとんど変わっていないのじゃないかな。その多くは二世・三世議員だし、地位を世襲した戦国大名気取りで下界を睥睨しながら、「この国を何とかしたる」と傍若無人に憂国の情を燃やしているのでしょう。われわれの日々の暮らしなど一顧だにせず。
 そうそう、車に戻る途中で、「皇紀二千六百年記念」と刻まれた上山田国旗掲揚塔と、「紀元二千六百二十六年 昭和四十一年」と刻まれた小さな石造の祠を見つけました。気になる物件です。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2007-11-05 06:11 | 中部 | Comments(0)
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