飛騨編(4):郡上八幡(07.8)

 さて昼食でも食べますか、やはり鰻だなと思っていたのですが、「飛騨牛」という看板を見て変心しました。牛肉行脚は続行中、やはり食べなくてはと、「泉坂」という店に飛び込んでステーキ定食をいただきました。「知らなかったよ、牛がこんなに美味いとは…」と口ずさみながら、宗祇水へと向かいます。連歌の宗匠・飯尾宗祇が郡上の領主である東常縁から古今伝授を受けて京へ戻るとき、この二人が、この泉のほとりで歌を詠み交わしたそうです。「もみじ葉の 流るるたつた白雲の 花のみよし野思ひ忘るな 常縁」「三年ごし 心をつくす思ひ川 春立つ沢に湧き出づるかな 宗祇」 この故事から命名されたのが宗祇水です。こんこんと湧き出る水源の上には社がしつらえてあり、清水は石でつくられた水舟へと導かれます。そこは四つに区切られており、水源に近いほうから、飲料水・米等洗場(スイカ冷やしに利用)・野菜等洗場・さらし場(桶等をつけておく)とわざわざ注意書きがありました。どうやら現役のようですね。
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 このあたり一帯は古い町並みがあるということなので、徒歩で散策することにしました。これといった見所はないのですが、木造・瓦屋根・二階建ての民家が道の両側に連なる統一感ある町並みでした。正面奥にはお寺さんと山が、まるで町の守護神だといわんばかりに鎮座されております。なおこのお寺さんは長敬寺といい、門前に何やら解説板があります。どれどれとさっそく読んでみると、戊辰戦争の際に郡上藩士45名が凌霜隊を結成し、会津若松で白虎隊とともに新政府軍と戦ったそうです。その後捕らえられ厳しい詮索を受けた後この寺に移され、1870(明治3)年に釈放されたとのこと。藩は官軍につき、その一方で脱藩者の名目で藩士を会津に送る、生き残り策をとったようですね。
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 道の脇には小さな水路があり、清流が流れています。微かなせせらぎの音が耳に心地よいですね。処々にベンチが置かれ、柳が植えられているなど、一休みできるようになっています。観光用水舟に気持ち良さそうにぷかぷかと浮いている無人販売のトマトを購入して、かぶりつきながら私も一休み。
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 そうそう、町を歩いていて眼についたのが、軒先にぶらさがる赤い消火用バケツと小さな半鐘。二階部分には延焼を防ぐための張り出した小さな壁(うだつ、この地では袖壁)もよく見かけました。火事に対する用心が徹底しています。
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 なおこのあたりで面白い物件を二つ見つけました。一つは、洋風住居ですが、一階部分の左側入口が丸い破風と鏝絵、右側が半円アーチの窓という奇妙奇天烈なものです。こちらは登録有形文化財でした。もう一つは、建物中央に尖塔のような物見櫓が屹立している物件。これは火の見櫓かもしれません。
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 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2007-11-24 19:24 | 中部 | Comments(2)
Commented by RISU at 2007-11-30 09:23 x
郡上八幡へお越しいただき、
ありがとうございます。
Commented by sabasaba13 at 2007-12-03 20:30
 こんばんは。どういたしまして、思う存分楽しませていただきました。素晴らしい町ですね、郡上八幡は。またいつか訪れることができる日を心待ちにしております。
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