飛騨編(5):郡上八幡(07.8)

 さてこの町で一番高い所にある郡上八幡城へのぼりましょう。私が勝手に師として敬慕する旅人/民俗学者・宮本常一氏の父善十郎が彼に贈った言葉があります。「村でも町でも新しくたずねていったところはかならず高いところへ上がってみよ、そして方向を知り、目立つものを見よ。峠の上で村を見おろすようなところがあったら、お宮の森やお寺や目につくものをまず見、家のあり方や田畑のあり方を見、周囲の山々を見ておけ、そして山の上で目をひいたものがあったら、そこへは必ずいって見ることだ。高いところでよく見ておいたら道にまようようなことはほとんどない」 登り口にある「山内一豊と妻の像」を拝見した後、羊腸の如き坂道をひいこら歩いてのぼること十数分で城に到着です。天守閣は廃藩置県の際に破壊され、現在のものは戦後に復元されたもの。最上階からの眺めは素晴らしいの一言。郡上八幡の町並みを一望することが出来ます。はるかまで連なる山々、その間にあるわずかな平地に広がる甍の波、そこを貫いて流れる吉田川。まるで小宇宙のようです。ただ宮本氏のように、その眺めから町の歴史や人々の営みを推察する眼力は私にはありません。己の勉強不足と微力を恥じましょう。入口のところでは、山内一豊のお千代の顔はめ看板を発見。なお天守閣の奥には凌霜隊の碑がありました。
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 観光地図によると近くに「宝暦義民の碑」もあるそうですが、これは発見できず。1755(宝暦5)年、過酷な重税にたまりかねた農民たちが決死の覚悟で幕府へ直訴、駕篭訴をくりかえし12代城主金森頼錦をお家断絶へと追い込んだ事件、いわゆる宝暦騒動の犠牲者を悼んだものでしょう。行きとは違う遊歩道を下りていたら途中に鐘撞き堂がありました。近づいてみると、鐘の背後にデジタル時計が設置してあります。こうした几帳面さが郡上八幡気質なのでしょう。前にある解説には「時刻を知らせる鐘だから撞かないで」と書いてありますが、その脇に英語で"and this sound makes people feel comfortable and peaceful."とあります。そうだよなあ、この小宇宙を眺めながら鐘の音と烏の声を聞いた日にゃ、そういう気持ちきっとなるよなあ。でも何故英語版にしか書いていないのだろふ? マレビトを大事にするのも郡上八幡気質なのかもしれません。なお新橋のたもとには、釈迢空(折口信夫)の歌碑がありました。「焼け原の町のもなかを行く水のせせらぎ澄みて秋近つけり」 1919(大正11)年、柳田國男の勧めにより彼は郡上八幡に来遊したのですが、直前に起きた大火事で町は廃墟と化しており、その光景を詠んだものです。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2007-11-25 08:31 | 中部 | Comments(0)
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