飛騨編(11):白川郷(07.8)

 合掌造りの定義は、「小屋内を積極的に利用するために、又首構造の切妻造り屋根とした茅葺家屋」だそうです。(「白川郷遊歩ガイド」より 筆者注:観光案内所で販売しておりますが、けっこう役に立ちました。お勧め) 養蚕のために屋根裏の大きな空間を確保するのが目的で、切妻の開口部から蚕の飼育に必要な光と風を取り入れることも可能となります。よって合掌造りが普及したのは、養蚕がさかんとなった幕末期以降なのですね、それほど古いことではありません。又首構造とは、屋根の斜材の下側先端部を細く削り、水平梁にあけたくぼみに差し入れた構造のことで、地震や強風の際に応力を分散し家屋の倒壊を免れることができるそうです。和田家も一階が住居、二・三階が板敷で養蚕のために利用されていたようで、蚕棚や養蚕道具などが展示されていました。ここでは屋根裏の構造部分がむき出しとなっており、その武骨さと繊細さに圧倒されます。縦横斜めに組み合わされた垂木と、それらを結びつける植物素材の結束材(「ネソ」:マンサクの生木)が基本的構造ですが、この柔軟性によっても応力を分散させることができるのですね。なお、合掌造りは大家族向けに作られたという説が一般に流布しています。例えば、「東海・北陸小さな町・小さな旅」(山と渓谷社)には次のような記述がありました。「白川郷では耕地面積が少ないため、合掌民家の軒下まで稲田が迫っている。白川郷の大家族制度は、この耕地面積の少ない事と関係があった。まず分家が出せない、養蚕を主にしていたので人手が必要。そのため大家族用の大きな家が造られたのである。娘たちも長男へ嫁ぐ以外は実家で生活し、この村では「妻訪婚」が普通。したがって生まれた子供は、母方で育てられていた」 養蚕のためなのか、大家族のためなのか、なぜ合掌造りができたのかについての理由がもうひとつはっきりしません。実際に見た限りでは、前者に軍配をあげたく思います。雪にうずもれる合掌造りの中で大家族が睦まじく一家団欒を楽しむ、という「日本の原風景」みたいなものを勝手に投影した結果、そうした俗説が生まれた可能性もありますね。今にして思えば、この時に現地の人に訊いておくべきでした。
c0051620_642986.jpg


 本日の一枚です。
c0051620_645332.jpg

by sabasaba13 | 2007-12-06 06:05 | 中部 | Comments(0)
<< 飛騨編(12):白川郷(07.8) 飛騨編(10):白川郷(07.8) >>