「アメリカの鏡・日本」

 「アメリカの鏡・日本」(ヘレン・ミアーズ 角川oneテーマ21 A-39)読了。この本は凄い… ひさしぶりに叫んでしまいましょう。
お薦め!
 ぜひとも多くの人に読んでほしいものです。著者のヘレン・ミアーズ(1900‐89)は日本研究者で、敗戦後GHQに設置された労働諮問委員会の一員として労働法の策定にも参加された方です。そうした学識や経験をもとに、1948(昭和23)年本書を執筆・刊行、全米の注目の的になります。しかしその内容がアメリカ人にとって不愉快なものであるため無視されるようになり、そして彼女も本書も忘れ去られていきました。
 最初の方で述べられているアメリカの対日戦争政策や占領政策への厳しい批判に、快哉を叫ばれる方もきっと多いでしょう。きわめて乱暴に要約してしまうと、日本帝国の植民地侵略は欧米列強によるそれとまったく同質のものであり、日米戦争を邪悪と正義の戦いと見なすことはできない。よって日本を一方的に断罪する形での占領政策は間違っているという主張です。また海上封鎖による補給路の分断で、日本の敗戦は決定的であったのだから、本土への無差別爆撃および本土上陸作戦の必要性はまったくなかった。よってその拠点(ex.硫黄島・沖縄)を奪うための作戦により、多くの米兵が命を落したのは、アメリカ政府の明白な失策であると批判しています。
 しかし彼女は日本を免責・弁護しようとしているわけでは決してありません。その思考はもっと広大な射程をもっています。第一次そして第二次世界大戦の結果超大国となったアメリカが、これまでと同じ政策をとり続けると、取り返しがつかない事態が起きてしまうという深甚なる危惧ですね。つまり冷戦への批判、さらには現在のアメリカに対する批判にまで、その思考は及んでいます。
 その分析は、きわめて鋭く怜悧にして適確です。これだけ見事に欧米列強がつくりあげた世界システムを抉り出した論考にはなかなかお目にかかれないので、自分自身のためにもまとめておきたいと思います。しばしおつきあいください。

 まず19世紀にイギリスがつくりあげ、そして欧米列強がそれに参入したシステムとは、強い国々が弱い国を犠牲にして自分たちの利益(国民全体というよりも一部の資産家のための利益)の増大を図るための術策の総体です。そこでは、領土の併合や力による経済的優位の獲得も、列強がつくり出したルールに従って、合法的にやりさえすれば正当な行為とみなされます。(ex.不平等条約の強要) もちろんそうした術策を支えるものは、強大な軍事力です。つまり、欧米列強がつくりあげた国際関係のルールとは、暴力と貪欲を合法化したようなものです。そして弱い国から列強の一員へと成り上がった唯一の国が日本です。彼女はこう辛辣に述べています。「日本人は暴力と貪欲が基準であり、正当である国際社会に入ったから凶暴で貪欲になった。日本人に暴力と貪欲を組織する国際的技術を教えたのは外国の専門家たちなのだ」 なお日本が軍事大国=列強になれたのは、イギリス・アメリカによる全面的な援助の賜物です。両国が推し進めるパワー・ポリティクスの一環として、イギリスが「脅威」と見なすロシア・アメリカが「脅威」と見なすソ連に日本をぶつけるためですね。しかし日本は欧米列強によるコントロールをふりほどき、独自の植民地体制を築き自国の利益を追求するようになる。そして新たな「脅威」となった日本をつぶすための戦争が、アメリカによって仕掛けられます。著者の言葉を借りましょう。
 …日本の罪状は、彼らが植民地住民に対して暴虐を振るったことではなく、日本の暴虐が、同じような暴虐でヨーロッパ諸国が確立した植民地体制の現状(ステータス・クオ)を揺さぶったことなのだ。
 そして第二次大戦後、再びソ連が「脅威」であると見なしたアメリカは、国民党政権に中国を支配させソ連に対抗させるために莫大な軍事援助をしています。(筆者注:本書は1948年に刊行されたので、中国共産党はまだ内戦に勝利していません) その一方で、イギリス・フランス・オランダは相変わらず植民地支配から手を引こうとせず、アメリカもそれを容認している。つまり弱国を犠牲にして自国の利益をはかるというシステムは全く変化していません。1947年、独立運動をつぶすためにオランダがインドネシアを攻撃した事件は、満州事変とあまりにもよく似ているという著者の指摘は鋭いですね。上記のとおり本書は48年に刊行されたものなので、歴史の流れについての叙述はこのあたりで終わっています。

 その後の歴史については、不肖私がまとめてみます。植民地は次々と独立し、これまでのような露骨な植民地支配はなくなりましたが、より巧妙な手段による弱国の支配=新植民地主義として継続されます。一方、パワー・ポリティクスの跋扈は冷戦体制として猖獗を極め、米ソが互いを「脅威」と見なして対抗ブロックを形成し、衛星国の軍事力強化と局地/代理戦争がいたるところで勃発することとなります。しかし軍拡競争に耐え切れず東側の体制は崩壊し、冷戦は終結。アメリカが唯一のスーパー・パワーとして世界に君臨することになります。そして冷戦という枠組み/歯止めが消えたことにより、アメリカが「脅威」=イランに対する抑止力として軍事強国に育て上げたイラクが独自の動きを見せることになります。(まるで戦前の日本にくりそつ!) さらに冷戦終結により米ソからの援助が減り、列強がつくりあげたシステムに起因する経済的不平等/不公正がさらに悪化、それに起因する(と私は考えます)9.11をはじめとする“テロ”の激化。アメリカはこの事態を奇貨とし、“テロ”=ソ連に代わる新たな「脅威」と見なして、野蛮な後れた連中に自由と民主主義をもたらしてやるんだと怒号しながら、世界各地(特に資源の豊かな所)で軍事行動を起こしています。やれやれ、著者が「民主主義諸国が凶暴で貪欲なときは、後れた地域に秩序と文明をもたらそうとしているか、共産主義の脅威を排除しようとしているときなのである」と言っていた状況が、より悲惨な形で再生産されているわけですね。アメリカの国務長官コーデル・ハル(1871‐1955)が、ナチス・ドイツと日本帝国を評してこう言ったそうです。
 無法、征服、破壊の巨大な力が野放しの凶暴なけだもののように地球上を動き回っている。この力はその野獣性からして、突き破れない壁にぶつかるまでは止まらないだろう。
 まさしくアメリカ自身が野放しの凶暴なけだものになってしまいました。しかも突き破れない壁は今のところ見当たりません。(地球温暖化は間違いなくその壁の一つなのですが、この“けだもの”はそれと知ってか知らずか頭から突っ込んでいこうとしています) ヘレン・ミアーズが危惧していたのは、こういう事態だったのでしょう。彼女は声をふりしぼるように、しかし感情的にならず冷静かつ論理的に、随所でアメリカ政府と国民によびかけています。今ならまだ間に合う、私たちはやり方を変えるべきだと。「愛国心」という言葉には常に警戒心をはたらかしていますが、これはきわめてまともな「愛国心」の発露ですね。政府と国民の誤った選択と進路を、毅然として指摘し批判する勇気。アメリカにコバンザメのようにくっついている日本の政財界の*に巣くっている寄生虫のような(一部の?/多くの?)知識人・ジャーナリストにぜひ聞いて欲しい言葉の数々を紹介しましょう。
 日本の罪と罰を再吟味して思うのは、国際法の原理原則はもっと厳密に定義する必要があるということである。日本の犯罪を人道的見地からいうなら、「国益」という自己利益を人権の上に置き、「国家の存亡にかかわる利益」を武力に訴えてでも守ろうとしたことである。しかし、すべての国がそういう行動を合法的権利と考えているかぎり、強者による弱者の懲罰は、自らの支配体制を維持しようとする大国の我欲でしかない。

 もし私たちが次の世代に「平和は報われる」という信念を教えたいのなら、やがて制動がきかなくなる「脅威」の創出を止めて、平和の可能性に対する確信を示すべきだ。平和教育は、基地、巨大軍備、軍隊の海外駐留、中国の(その他どこであれ)軍閥の支援、あるいはパワー・ポリティクス信奉者の旧式な尊大さをもって、成就できるものではないだろう。

 日本を近代的軍事・工業国家に育てる中で、いくつかのことが見落とされた。つまり、工業化はダイナミックなシステムに向かうこと、力はさらなる力の必要と渇望を生み出すこと、そして「安全な」同盟国は力を強めるにしたがって安全でなくなること、パワー・ポリティクスが支配する競争世界で、ひとたび覇権の拡大(あるいは「合法的」拡張)に向かうと、物資と市場を競争相手に依存しているという事実が不安感と不信感を醸成させ、より多くの物を求めずにはおかない過剰「安全性」に駆り立てること、西洋列強がコミットメントでアジアに深入りし、日本がコミットメントで満州と華北に深入りしたように、コミットメントというものは国家を追い込むものであること、が見落とされている。

 アメリカ人がこの二つの事実から学ぶべきことは、「リーダー」は進路を示さなければならないということである。国際問題でリーダーシップを発揮しようという大国が、隠蔽しようが明示しようが、対立ブロック形式の意図をもって、あからさまに軍拡の道を歩み、隣接の、あるいは遠隔の政権を武装化するなら、その結果は十二歳の子供でも予言できる。私たちは本当に平和を愛しているのか。もし愛しているのなら、政策を通して私たちの特性をもっとはっきり示すべきだ。

 何百万の生命と何十億ドルに相当する物量と人力をかけて、私たち自身民主主義をぶち壊してしまう前に、政策担当者は「脅威」の実体について、もっと透徹した思索をめぐらし、揺るがない決断を下すべきなのだ。

 投入装置がこれほど進歩した今日、ひとつの国を軍事国家にすることは、途方もなく無神経な行為である。私たちの現在の外交政策の指導者(ほとんどが職業軍人とザイバツ)は、力と栄光の夢にまどわされて、日本軍部がアジア支配の妄想にとりつかれたように、現実が見えなくなっている。
 アメリカ人にいますぐ答えてもらいたい。私たちの力の機械はすでに私たちの制御能力の及ばないところに飛び出してしまったのだろうか。それとも、まだ機械を制御し、行く先を変え余地が残されているのだろうか。
 追記。今朝、こうしたアメリカの世界戦略に追随する日本の姿を象徴するようなニュースがとびこんできました。岩国市長選で空母艦載機移転を容認する候補者が当選、そして沖縄では少女暴行容疑で米兵を逮捕。特に前者では、アメリカの世界戦略に協力しない自治体へは、容赦なく財政支援を削減して締めあげるぞという政府の固く陰湿な姿勢が印象的です。日本政府にいますぐ答えてもらいたい。世界を混沌と悲惨に陥れている「力の機械」の一部に完全に組み込まれている現状をどう考えるのか。
by sabasaba13 | 2008-02-11 07:26 | | Comments(4)
Commented by 一拙 at 2008-02-11 11:02 x
時々拝見させていただいています。今回は特に勉強になりました。
強くなりすぎた者は亡びると、古代中国の哲人も言っています。アメリカはまさにそういう局面に立ちつつあると以前から思っていますが、それに追随するばかりの日本の政権も、長いことはないような気がしています。
Commented by みつひろ at 2008-02-11 11:43 x
アメリカは滅びればいい。
日本も悲劇を味わえばいい。
と思いを抱きつつ。

「何を」どうすればいいか考えると、「何を」がわかりません。

力の機械の排除は不可能で、やはり制御の機械の導入しかないと思います。
Commented by sabasaba13 at 2008-02-11 19:05
 こんばんは、一拙さん。このままだと、全世界の滅亡という最悪のシナリオさえ脳裡にちらついてきます。(もしあるのなら)人類の英知が試されているのが今だと思います。われわれにできることは、まずアメリカに追随するしか能のない現政権に一刻も早く引導を渡すことでしょうか。
Commented by sabasaba13 at 2008-02-11 19:10
 こんばんは、みつひろさん。日本は悲劇を味わったはずなのですがねえ、この重度の健忘症を何とかしなければ、とつくづく考えます。
 「何を」どうすればよいのか、正直に言って即答できません。小さなことからコツコツと、というわけで「炭鉱のカナリヤ」のように拙ブログで囀ることだけは続けていきたいと思っています。
 制御の機械… もし良いアイデアがあったらぜひ教えてください。
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