肥前編(15):大村(07.9)

 本日は大村と川棚を徘徊して、佐世保に移動します。諫早駅からJR大村線に乗って十分強で大村に到着。994(正暦5)年、藤原(大村)直澄が久原城に入部して以来、約1000年の歴史を有する大村藩2万8000石の城下町です。これだけの長期間、領主が変わらなかった城下町はきわめて珍しいとのこと。そして何といっても、1563(永禄6)年に受洗した日本で最初のキリシタン大名・大村純忠の名が思い出されます。ポルトガル船と宣教師のために長崎を開き、天正遣欧使節の少年たちを派遣したのも彼でした。やがてキリシタン禁制の世になると、「郡崩れ」と呼ばれる潜伏キリシタン発覚事件し、406人の殉教者を出したのもこの地です。目立った観光地ではないのですが、趣のある武家屋敷街があるという情報を入手したので寄ってみることにしました。下車すると、当然の如く観光案内所も貸し自転車もなし、ま、これは想定済み。駅員に観光地図を所望したところ、「ない」というお返事。ん、これも想定内。持参した大雑把な地図のコピーと、デジタル・カメラで撮影した駅前に掲示されていた地図と、研ぎ澄まされた方向感覚と、「散歩の変人」としての矜持が頼りです。と大仰なことを言いましたが、あっさりと散策の中心となる玖島城にたどりつきました。途中で目についたのが、懐かしいコンクリート製ゴミ箱。幼少の頃、わが町でよく見かけたものですが、いまだ現役で頑張っています。
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 城の近くにある大村市役所には「本日開催中 大村競艇」という垂れ幕がさがっていました。そういえば、大村は競艇発祥の地なのですね(1952)。城跡に入ると、大村出身で近代公園設計の先駆者・長岡安平の記念碑がありました。札幌中島公園、秋田千秋公園、そしてここ大村公園などが代表作とのことです。
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 天守閣は復元されておらず、本丸のあたりは神社になっていました。近くには「戊辰戦役記念碑」があります。新政府軍に加わった大村藩が、上野戦争(対彰義隊)・会津戦争などに従軍して勲功をたてたことを誇らしげに語っています。その隣には「少年鼓手 浜田謹吾」の碑がありました。戊辰戦争・刈和野の戦いで戦死した15歳の浜田少年を顕彰する碑ですが、その死に対してご母堂は次のような歌をのこしたそうです。「双葉より手くれ水くれ待つ花の君がみために咲けやこのとき」 軍国の母はもう存在していたのですね。でも手塩にかけて育てた息子が天皇のために戦死して本望だと、本当にそう思います、お母さん?
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2008-03-24 06:07 | 九州 | Comments(0)
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