上野公園編(2):東照宮(07.12)

 美術館を出て、大噴水のあたりを散策。楓は少ないのですが、イチョウの黄色と広葉樹のオレンジが陽に映えてなかなか綺麗でした。
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 公園の一角では、有志団体によるものでしょうか、ホームレスの方々への炊き出しや散髪が行われています。ル・コルビュジエは、科学技術を駆使してすべての人に人間らしい住環境と住居を提供するべきだし、現代はそれを実現できる時代であるべきだという志を持っていたと考えます。その彼が、こうした光景、さらに世界の各地でくりひろげられているより悲惨にして非人間的な光景を見たら、どういう言葉を呟くのでしょうか。かたや高価なブランド製品を身にまとい颯爽と闊歩する人々。そしてマネーゲームに狂奔し、贅を尽した暮らしを只管追い求める人々。有無を言わせぬ圧倒的な経済的不平等と不公正… 「それが人間のすることか!」と叫びたくなりますが、「それが人間ってもんじゃないのかね?」と沙翁に軽くあしらわれてしまいそう。でも乏しきを憂えず、等しからざるを憂いたいですね。なお噴水の近くには、ラジオ体操の記念碑があります。(設置者は東京郵政局)
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 どりゃどりゃ、碑文を読んでみましょう。「この碑は、ラジオ体操ひろばとして永年にわたり多くの人達に親しまれている当地に、ラジオ体操制定五十年を記念し、建立したものであります」 なるほど。「ラジオ体操は昭和三年に郵政省簡易保険局が国民の皆様の健康増進を願って制定し、日本放送協会ラジオ体操会連盟の協力を得て、今で全国至る所で愛好されています」 うーん、昨今の国家権力による「健康」の強制に辟易している小生としては、一言半畳を入れたくなりますね。近代日本の健康観と政策に関しては、「桃太郎さがし 健康観の近代」(鹿野政直 朝日百科日本の歴史別冊)および「強制された健康 日本ファシズム下の生命と身体」(藤野豊 吉川弘文館)という優れた研究がありますので、それを参照しました。前者によると、ラジオ体操は、健康優良児表彰制度とともに、ラジオ・新聞というメディアが主催した健康キャンペーンです。1928(昭和3)年に昭和天皇の大礼記念事業として、東京中央放送局のローカル番組としてはじまり、翌年には全国番組となり、やがて町内会・青年団を軸に各地にラジオ体操の会が生まれ、内務省・文部省・在郷軍人会の後援もあって全国的な運動へと発展します。その意図は何か。これは藤野氏が見事に要約されています。
 生殖段階から国民の健康と体力を国家が管理し、「人的資源」として利用もすれば廃棄もする体制、「生存に値する生命」と「存在するに値しない生命」を国家が選別した体制
 国家の政策に利用できる健康な身体=優良な部品・素材・資源をつくりあげるとともに、健康ではない=国家の役に立たない身体は悪であるという意識を国民の間に醸成する。さらに相互監視の網の目によって、午前七時のラジオ体操に参加しないと不健康な非国民と思われてしまうという後ろめたさもすりこまれたことでしょう。うん、これでメタボと喫煙の撲滅を怒号する現政府の意図も見えてきます。医療費の抑制とともに、政府・企業の役に立つ健康にして有為な人物とそうでない人物を選別し、前者を徹底的に利用し、後者を廃棄する。今の世の息苦しさは、健康な身体で何かの為に役立つ/政府・企業に利用されることを強要されることからきているような気がします。ただぼーっと生きているだけの人間は、もはや生存を許されなくなる時代が、ほら、すぐそこまで来ていますよ。
 なーんてことを考えながら徘徊していたら小腹がへってきました。山ノ神に教示してもらった韻松亭に飛び込んだところ、幸い席が空いていました。上品な味ですが量が物足りない茶つぼ三段弁当をあっという間にたいらげ、すぐ近くにある東照宮に行ってみました。
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 大名が寄進した灯篭群の間を進むと、正面が唐門です。はじめて知りましたが、国宝にも指定されている本殿の中に入ることができるのですね。さっそく拝観料を払って内部を見学。唐門の柱に刻まれている伝左甚五郎作の昇竜・降竜をじっくり眺めることもできました。そして鶯谷駅から山手線に乗って帰宅。うん、やはり上野はふらんすよりも近かった。
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 なお上野公園のその他の物件については、よろしければ以前に掲載した記事をご笑覧ください。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2008-06-22 07:53 | 東京 | Comments(0)
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