東京錦秋と戦争遺蹟編(6):日立航空機立川工場変電所(07.12)

 本日の最終目的地は日立航空機立川工場変電所。日立航空機は日立製作所航空機部門の子会社で、戦闘機のエンジンを製造し、立川陸軍航空廠に納入していました。このあたり一帯は、最盛時には13000人が働く軍需工業地帯だったのですね。この建物は、1945(昭和20)年2月17日、艦載機グラマンによる低空爆撃を受けた際の弾痕・爆裂痕を残す、貴重な物件です。「日本の戦争遺跡」(平凡社新書240)の地図をたよりに、玉川上水駅から歩いて十分ほどで都立東大和南公園に到着。公園のほぼ中央に、歴史の証人が満身創痍の姿で屹立していました。前面に残る無数の弾痕が、アメリカ軍による軍需施設攻撃の苛烈さを静かに物語っています。アメリカのW・H・ローレンス記者が「この大爆撃作戦の遂行者たちは、自分たちの爆撃の正確さと効率の良さ、帝国の都市防衛に立ち上がれない日本空軍の無気力さに驚いている」という記事を書いているそうですが、納得。(「アメリカの鏡・日本」 ヘレン・ミアーズ 角川書店) 対空砲火も迎撃もない状況で、アメリカ軍パイロットはまるで射撃ゲームを楽しんだのでしょうか。なおこの一連の攻撃による死者は110余名です。
 紫煙をくゆらせながらこの物言わぬ建物を凝視していると、"恐怖"という二文字がふつふつと脳裡に湧きあがってきます。反撃を受ける恐れがない安全な状況下で一方的な攻撃を繰り返すパイロットと、身を守る術もなく逃げ惑う人々。その非対称性に慄然とします。もはやこれは殺戮ではないのか… そして今も世界各地で同様の行為を繰り返すアメリカ軍、それを陰に陽にバックアップする日本政府と自衛隊。非対称的な殺戮を語り継ぐための貴重なモニュメントとして、そしてそれに加担しないための教訓として、ぜひ未来永劫保存してほしいものです。なお併設されていた給水塔は残念ながら取り壊されて、根元の一部がモニュメントとして残されていただけでした。
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 柵に囲まれて内部へは入れませんが、建物のとなりには慰霊碑があるのを確認できました。そしてちょっと離れた所に、艦載機の侵入経路を示すモニュメントもあります。
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 さて玉川上水駅に戻り、西武新宿線に乗って帰りましょう。この後、神保町で山ノ神と待ち合わせです。年末に北海道ニセコにスキーをしにいく予定なのですが、そのために新しいウェアを買ってくれるという心温まるオファーです。以前にも書きましたが私が使用しているスキーウェアは、山ノ神から下賜された二十数年前のキリーのパンツと、十数年前に購入したエレッセのデザインをぱくった中国製オーバーウェアです。よれよれとなり多少匂うようになってきました。ま、別にこれでもかまわないのですが、天保山よりも高く有明海よりも深い山ノ神の愛をしかと受け止めましょう。東京堂書店で落ち合い、念のため「今のウェアで別にかまわないよ」と謙譲の美徳を示すと、彼女曰く「やだ、臭いから」。そういうことか。近くのスポーツ用品店で、できるだけ地味だけれど救助隊に見つかる程度には派手なウェアを買っていただき、さあ夕食です。満を持して、すずらん通りにあるロシア料理「ろしあ亭」に突入。ピロシキ、ボルシチ、ロールキャベツ、チキンカツをたいらげて大満足です。
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 そういえば近くに「サラファン」というロシア料理の老舗があったはずだなと思い出し、わき道に入ってさがしたところ、ありました! 今度はこちらに寄ってみましょう。

 というわけで、本日かかった費用は殿ヶ谷戸庭園入園料150円+交通費+食費。つくづく散歩っていうやつは、金がかからず、健康によく、暇がつぶせ、知的好奇心をくすぐる、最高の道楽ですね。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2008-07-01 06:11 | 東京 | Comments(0)
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