駿河編(4):伊東・木下杢太郎記念館(07.12)

 さて秘宝館には思いっきり後ろ髪を引かれましたが、次の目的地に向かいましょう。伊豆急行に乗り換えて20分ほどで伊東に到着し、駅前の観光案内所でガイド・マップをもらいました。熱海のものと同様あまり詳しくはありませんが、地図が正確なので助かります。まずはこの地出身の文人・木下杢太郎記念館へ行きましょう。終生医学に従うとともに詩作・劇作・評論・キリシタン研究など多領域で活躍した方ですね。名著「日本文学史序説」(平凡社)で、評論家の加藤周一氏が「その散文の背景に、一世代の日本の知識人の到達しえたもっとも包括的な、おそらくはもっとも斉合的な、詩的かつ知的な世界が成立していた… その世界こそは、日本帝国が崩壊しつつあったときにも、決して崩れなかった」と杢太郎を評されているのを読み、いつか本気で取り組んでみたいと思っていた人物です。よって今回はその前哨戦。駅から歩いて十分ほどで記念館に到着です。
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 明治期に建てられた土蔵造り・なまこ壁の古い商家を利用したもので、裏には杢太郎の生家が当時のまま保存されています。小さな記念館ですが、彼の著者や手紙・遺愛品が展示されており、また畳の間では彼の生涯をまとめたビデオを見ることができました。眼が釘付けとなったのが、彼が最晩年に灯火管制下で描き続けた「百花譜」の複製。これは、己の死と大日本帝国の崩壊を間近に見つめながら、道端に咲く花や雑草などを丹念に描き、時局や病状に関する字句を書き添えた872枚の折枝画です。若い頃杢太郎は画家を志望していたのですが、親の反対によって医学の道に進んだそうです。生命に対する暖かい愛情と、科学者としての怜悧な観察眼の、幸福なコラボレーション。まさしく加藤氏が言っていた「詩的かつ知的な世界」です。受付で売っていた「新編 百花譜百選」(岩波文庫)を即座に購入してしまいました。展示されていた萬年甫氏(神経解剖学者)の思い出話は胸につきささるものです。空襲が東京を脅かしていたある日、杢太郎が若い学生に対して「君たちは、勉強しているか」と問いかけます。「君たちは知識と知恵を区別しなくてはいけない。知識は人間が知的活動を続ければ続けるほど無限に増えていく。でも、それでは知識の化け物になるだけだ。それではいかん。人間のためになるようにするには知恵が必要だ。では知恵を学ぶにはどうすればよいか。古典に親しむことだ。古典には人類の知恵がつまっている」 しかと肝に銘じます。なお石川啄木から杢太郎に宛てた年賀状も展示されていました。「謹賀新年 相不変半ば廃人同様のからだ、待たるるものは春暖の頃と兄の戯曲「夜」のつづきに候 一九一二年元旦 石川一」 この年の4月13日に彼は亡くなっているのですね、息をつめてそのたどたどしい字を見つめるだけです。
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 本日の一枚は、杢太郎が描いたおしろいばなです。
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by sabasaba13 | 2008-07-12 07:12 | 中部 | Comments(0)
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