浅草七福神編(4):福禄寿・布袋尊(08.1)

 次は福禄寿のいる今戸神社です。途中にある山谷堀公園は、かつて吉原への通路であった山谷堀のことですね。今では水もなく見る影もありませんが、かつてはお大尽たちを乗せた猪牙船が行き交っていたのでしょう。歩いて数分で今戸神社に到着です。なお門のところに「沖田総司終焉の地」という看板がありましたが、ほんとなのでしょうか。昨今の理由がよく理解できない新撰組ブームに便乗して、大々的に宣伝すれば参拝客も増えると思います。ちなみに沖田総司の墓は東京元麻布の専称寺にあるそうです。
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 こちらにいる福禄寿は、中国人が人生の三大目的とする福(幸福)・禄(地位)・寿(寿命)を兼ね備えた道教の神です。茅の輪をくぐって本殿にあがると大きな招き猫の脇に、ユーモラスな表情の福禄寿が鎮座していました。そうそう、ここは招き猫発祥の地なのだそうです。江戸中期につくられた今戸焼がその嚆矢だとか。
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 休憩所にある「カメヤマローソク」と書かれたベンチが郷愁をさそいます。手水のところには「禁犬杓使用」と書かれておりました。
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 さて次は布袋尊のいる橋場不動尊です。通りの名が今戸通りから橋場通りに変わり、またしばらく隅田川に沿って北へと歩きます。途中で台所の窓上部一帯に、見ていて気が滅入るぐらいに神経質に鋭い釘をはりめぐらせた家を発見。泥棒除けかな、と見過ごして行こうとすると、山ノ神がつんつんと袖をひっぱります。「ねえ」「ん?」「猫除けじゃない」         一瞬、背筋に冷水を浴びた気持ちになりました。ここまで純粋に猫に対する嫌悪・憎悪を形象した物件は見たことがありません。前世が猫(たぶん)の私としては、禍々しさを感じます。そういえば、さっきもペットボトルをこれでもかこれでもかこれでもかこれでもかと並べた家がありました。もしかするとこのあたりの地域は、猫に対する並々ならぬ怨讐を連綿と伝える歴史があるのかもしれません。
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 「うすい箔押」というスタンディング・オベーションをしたくなるような看板、そして「世界救世教祖生誕之地」という小さな碑を過ぎると、橋場不動尊に到着です。今戸神社から歩いて十五分ぐらいかな。
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 布袋尊は唯一実在の人物がモデルです。中国唐代末期の僧で、いつも手に杖を持ち、大きな布袋を背負い、太鼓腹で街中を闊歩した、自由闊達な僧・契此(?~917)が理想化されたようですね。朱印をもらい本殿に入ると、奥の方に小さな布袋尊像がありましたが、暗くてよく見えません。
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 ここで忘れっぽい山ノ神が突然「おみくじをひかなきゃ!」と、先ほどの屈辱を思い出しました。やれやれ何回ひくことになるのやら。と思いきや、さすが布袋さま、人生の機微をわかっていらっしゃる。「吉」が出ました! さっそくオクラホマ・ミキサーを二人で踊って、布袋さまに奉納。
by sabasaba13 | 2008-08-19 13:14 | 東京 | Comments(0)
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