浅草七福神編(8):弁財天・寿老人(08.1)

 そして「吉原大門」交差点を過ぎると、なつ、もといっ、なじ、もといっ、未踏の地・吉原です。「吉原開所三五〇年 安心・安全」と書かれた灯篭風街灯がありましたが、なるほど明暦の大火の後、このあたりに遊郭が移され、新吉原として営業を再開したのが1657(明暦3)年の秋ごろですから去年で350周年になるわけだ。今でも所狭しと風俗業の店が建ち並んでいます。
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 その新吉原遊郭に鎮座していた五つの神社を明治初期に合祀し創建したのが吉原神社です。本殿の奥にライトアップされてほのかに浮かび上がる小像が弁財天です。インドが起源の水を司る女神で、滔々と流れる水から連想して弁舌・音楽の神として崇められるようになったようです。なお石浜神社から吉原神社までは徒歩30分くらいでした。
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 次は寿老人のいる鳳神社です。ちょっと道がややこしいのですが、地図を頼りに十分ほどで到着しました。途中に「女整体師 いたきも堂」がありました、これは思いっきりそそられますね。このあたりに住んでいたら絶対に贔屓にします、あ、いや、"女整体師"じゃなくて"いたきも(痛いけど気持ちいい)"に惹かれたのですよ、念のため。そして扇型に二階の壁を繰りぬいた洒落た家を発見。おそらくかつては娼家だったのでしょう。
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 鳳神社といえば「おとりさま」、祭神である日本武尊が社前にある松に熊手をかけて戦勝を祈ったのが11月の酉の日、これが酉の市となったそうです。こちらにいるのは寿老人、ん? すでに石浜神社でお会いしましたね。実は浅草七福神では寿老人(神)と福禄寿が二人ずついて、計九福神なのです。なして? 地図の解説によると「九は数の究み、一は変じて七、七変じて九と為す。九は鳩であり、あつまる意味をもち、又、天地の至数、易では陽を表わす」というわけのわからない故事によるものでそうです。ま、九の方が縁起がよいと言いたいのでしょう。でも私は違うと見た。七福神に入るか入らないかで、寺社の収益には大きな影響が出るはずです。寿老人を擁する石浜神社と鳳神社、福禄寿を擁する今戸神社と矢先神社の間に血で血を洗う抗争が起きたのではないか。そこに仲介に入ったのが浅草寺の住職はん、「まあまあつまらん喧嘩せんでもええがな。どや、いっそ九福神にしたら。このわしの口から九の方が縁起がよろしといえば、江戸っ子は単純やし権威に弱いから簡単に信じるで」と言って丸くおさめたそうな、ちゃんちゃん。もちろんこれは憶測ですがありそうな話でしょ。さてどういうわけだか、ここだけは本殿前に行列ができていました。しばし並んで本殿の中を覗き込むと奥の方に小さな寿老人像が見えました。
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 なおこちらの境内には樋口一葉の文学碑と玉梓乃碑、正岡子規と榎本其角の句碑が並んでいました。そういえば樋口一葉記念館が近くにあるはずですが、たぶん休館だと思うのでカット。いよいよ最後、福禄寿のいる矢先神社へと向かいましょう。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2008-08-27 06:08 | 東京 | Comments(0)
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