「ヘゲモニー国家と世界システム」

 「ヘゲモニー国家と世界システム 20世紀をふりかえって」(松田武・秋田茂編 山川出版社)読了。全生命体の揺籃とも言うべき自然環境が危機に瀕している今、未来への展望について真剣に考えられるかどうかにこの星の運命がかかっています。現在が過去に規定される以上、未来を考えるためには20世紀という時代について真摯にふりかえることが必要です。というわけで、20世紀という時代を大きな視点からふりかえり考察する研究書を読むことを、今の自分の課題としています。本書は、大阪外国語大学のグローバルヒストリー研究プロジェクトの一環として開催された国際シンポジウム[二十世紀をふりかえって―ヘゲモニー国家の役割と近代世界システムの変容]の成果報告をまとめたものです。そのねらいは、世界の諸地域間の相互関係と、その相互連関のダイナミズムを重視し、ヒト・モノ・カネ・情報・サーヴィスの移動をつうじて、長期にわたって進行してきたグローバリゼーション(国際化)の歴史的過程を明らかにする、と序文で述べられています。具体的なポイントとしては、(1)近代世界システムにおける三つのヘゲモニー国家、十七世紀オランダ、十九世紀イギリス、二十世紀アメリカの間でみられた共通性と相違点を明らかにする、(2)ヘゲモニー交代の歴史的過程を考察する、(3)ヘゲモニー国家の台頭と衰退課程にたいするアジア諸地域が果たした役割を明らかにする、というものです。

 「十七世紀のオランダ」(マーヨレイン・タールト)、「パクス・ブリタニカと国際秩序 1688-1914」(パトリック・カール・オブライエン)、「アメリカのヘゲモニーと現代史のリズム 1914-2000」(トマス・マコーミック)、「アメリカの台頭 1939-1941」(ブルース・カミングス)、「近代世界システムの形成と変容におけるヘゲモニー国家の役割」(ジョバンニ・アリギ)という五つの論文と、いくつかのコメントから構成されています。
 各論文ともそれなりに興味深いものでしたが、私にとっての白眉はトマス・マコーミック氏の研究でした。20世紀を語る上で欠かせないアメリカのヘゲモニーと世界との関連を、1914-2000年という長いスパンでふりかえるとともに、それを約100ページで概括した、大変密度の濃い内容の充実したものです。氏は20世紀におけるアメリカのヘゲモニーについてこうまとめられています。まず、ヘゲモニー国(アメリカ)は権力を行使して、世界経済および国家間システムに関するルールをつくる必要がある。さらに、ルールを曲げたり破ったりする反抗的な資本主義国にたいしてルールを遵守することを強要し、ルールの正統性を否定し、資本主義国に反対するいかなる国も国際社会から追放し封じ込める必要がある。そして一層の経済的な繁栄と安全を保障するという交換条件のもとに、ヘゲモニー国でない国々が自国の自治権を自主的にある程度ヘゲモニー国に委譲する。(ヘゲモニーとは、ある種の社会契約) 同時にヘゲモニー国は、世界経済全体を統括する管理者として行動する必要があり、その過程においてヘゲモニー国は、システムを運営していく際に必要以上の負担を進んで負う必要がある。
 こうした意味におけるヘゲモニー国としてアメリカがふるまったのが1944年から73年のあいだであるというのが、氏の主張です。非常に啓発された論点がいくつかあったので紹介しましょう。

 まずは、アメリカは世界資本主義システムを管理・運営するために、ソ連との「冷戦」を利用したということ。ソ連の潜在的な膨張主義と脅威を誇張することによって、核の傘と同盟体制でもってヨーロッパとアジアを軍事的に保護するとともにアメリカに依存させたわけです。そうした状況を強力な梃子として、アメリカが定めた経済的ルールをヨーロッパやアジアに受け入れさせた。つまり、「冷戦」とは、(特に1960年代中頃以降は)米ソの共生体質となったという指摘です。互いの同盟国を管理し懐柔し操作するために(アメリカは西欧を、ソ連は東欧を)、敵側の脅威を意図的に誇張しながらも、お互いの存在を必要としていた。よって「冷戦」とは、勝利するための戦いではなく、自己の陣営を管理するための想像上の戦いであった。これは鋭い分析だと思います。
 次に注目すべき論点は、アメリカのヘゲモニーにとって、アジアにおける要石的存在が日本であったという指摘です。私なりにまとめると、世界資本主義システムを維持・管理するにはアメリカに従順な中核工業国が各地域に必要となる。アジアにおける中核工業国としてアメリカが選んだのが日本であり、その経済復興のためにアメリカは全力をそそぎました。その一環として、日本にとっての重要な市場であり食料・原料を提供する地域でもある東アジアを日本のために開放し、共産主義勢力の手に落ちないよう軍事力の行使も辞さなかった。氏曰く、アメリカは日本のために「大東亜共栄圏」を再建したことになります。よって朝鮮戦争もベトナム戦争も、アメリカの直接的国益のためではなく、システム維持・管理において重要な役割を担う日本のために戦われた。これは心胆寒からしめる指摘です。
 そして「冷戦」によるコストの増大(ベトナム戦争における巨額の軍事費など)、ヨーロッパと日本経済の復興、アメリカにおける生産性の低下、そして石油危機(1973+1979)などの結果、アメリカの経済力は弱体化し、長期的な貸付と投資を着実に行いつづけるヘゲモニー国家としての役割を放棄することになります。つまり国家の責任であった世界資本主義システム管理の仕事を、民間の銀行家、自立的な中央銀行、それに国際通貨基金(IMF)に委ねることになったわけです。(「世界金融革命」) これに加えて、石油危機によって生じた莫大な利潤がニューヨークの銀行に還流し、資本は利潤を求めて世界の隅々にまで投資の機会を探し回ることになりました。株式市場は利潤獲得を求める投機の場に変容し、さらに資本は、世界経済の半周辺地域に投資と貸付の新しい機会を求めていくことになります。このあたりの状況を、氏はこうまとめられています。
 合衆国は、ヘゲモニー国家としての役割をはたすだけの力をまだもっているかもしれないが、アメリカ国家はヘゲモニー国としての責任をはたすだけの相対的自立性をもはや保持していない。1973年以来の「静かなる恐慌」と、それによって生じた世界金融革命の脈絡からいって、アメリカ国家(他の中核国家も同じく)は、ヘゲモニー国としての責任の大半を民間の銀行家や自立的な中央銀行に移譲してしまった。アメリカ国家は、為替レートの安定をはかるより、あるいは景気循環に反対する長期貸付の道を探るよりむしろ、そのような問題の解決を市場という名の見えざる手、あるいはいうならば、ほぼ可視的な金融業界の手に委ねてしまったのである。その結果、国家の仕事は金融資本家のために障害物を取り壊したり、経済的危機の発生がヘッジ・ファンドによるものなのか、あるいは国内の貯蓄貸付銀行ならびに海外の多国籍企業によるものなのかに関係なく、金融資本家が経済的な苦境に陥った場合には、救済資金という救いの手を差し伸べたりすることだけになってしまった。そのさいに、アメリカ国家は自立性と責任を放棄しただけでなく、「モラル・ハザード」(道義的な危険)を犯したのであった。アメリカ国家は、資本家に賭けることを許す一方で、「状況が芳しくなくなった場合には、『他人』-たいていの場合、アメリカの納税者-にその付けを回したのであった」。その結果、現在私たちが住んでいる世界の特徴は、アメリカのヘゲモニーというよりむしろ、権力の弱い国家と影響力の強い中央銀行、あるいはケインズ卿の言葉をもう一度借りれば、「銀行の議会」からなる世界にあるといえよう。
 アメリカのヘゲモニーを維持するための「冷戦」、そしてその任務を一部放棄したために生じた「グローバリゼーション」、とまとめていいでしょうか。偉そうなことを言えば、現代史を見る目がより深く豊かになりました。つねづね思うのですが、中学校や高校での「世界史」「日本史」といった受験向け暗記科目はやめてしまい、「今の世界を理解するための二十世紀の歴史」という新科目を立ち上げるべきではないでしょうか。歴代のローマ皇帝や室町幕府将軍の名前を覚えてすぐ忘れるより、はるかに重要な意味をもつものだと確信します。
by sabasaba13 | 2008-09-01 06:08 | | Comments(0)
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