「ゲルニカ」

 「ゲルニカ ピカソが描いた不安と予感」(宮下誠 光文社新書335)読了。
 こんな話がある。アメリカのある政府高官が、2001年9月11日にアメリカで起きた同時多発テロに関連して、イラクの核保有の証拠を見つけたと国連安全保障理事会の入り口で報道陣たちを前に熱弁をふるった際、彼を撮れば必ず見える位置にあるはずの『ゲルニカ』の複製タピストリーは、…青いカーテンと加盟国の国旗によって覆われた… 『ゲルニカ』は、いまだ、戦争を仕掛け、あるいはそれに報復しようとする者たちにとって都合の悪いものらしい。
 本書の冒頭で紹介されている逸話です。『ゲルニカ』がもつイメージを喚起させる力が、いまだに衰えていないことをまざまざと思い知らされるエピソードですね。私も18年前に、マドリードのプラド美術館別館でこの絵を見てきましたが(防弾ガラス+銃を持った警備員が忘れられません)、その時に感じた、不安、歎き、恐怖、そして微かな希望が渾然となった印象はよく覚えています。
 本書は気鋭の美術史研究者・宮下誠氏が、ピカソの愛人ドラ・マールが撮影した制作過程の様子から構図やモチーフの変化を分析し、さらに該博な知識を駆使して様式史的アプローチ(作品を美術史の中に位置づける)・イコノロジー的アプローチ(作品そのものの意味を探る)を試みた力作です。閃光(太陽?ランプ?)、そこから目を背けるようにして屹立する牡牛、嘶く馬、死児を抱いて泣く女、横たわる兵士、灯をかざす女、両手を挙げる女、アネモネ、鳥といった画面にうずまくモチーフ群を、美術史やピカソの過去の作品と照らし合わせながら著者は読み解いていきます。例えば、死んだ兵士にハンス・ホルバイン『墓の中の死せるキリスト』を関連づけ、あるいは死児を抱いて泣く女にピエタ(死せるキリストを抱くマリア)のイメージを重ねる、といった具合ですね。そして、『ゲルニカ』の中に、キリスト教的黙示録のヴィジョン、死と再生の息詰まるドラマ、ヒューマニズム救済の希求、すべてを見抜く神の眼差し、それでも繰り返される不条理な諍いと死、人間の愚かさと賢明さ、人知を超えた明暗、善悪の葛藤の象徴的表現といった、多義的にして豊穣なイメージが共鳴しあっていることを指摘します。
 これは、以前に紹介した「20世紀絵画 モダニズム美術史を問い直す」(光文社新書234)で氏が言われていた、「好き嫌い」で作品を判断するのではなく、よりよくわかろうとする真摯な姿勢の実践編と言ってもいいかもしれません。本書では、さらに考察は一歩進みます。作品を見て感じる喜び、悲しみ、感動、落ち込み、それは自分自身がその作品に投影されたもの、つまり作品とは己を映す鏡である。よって作品についてより深く考えることは、己についてより深く考えることである。そうして新しい己を見出し、作品にまた新しい価値を見出していく。この作品と己との間における往還運動の中で、深い叡智を身に付けてゆく。そうすることで、作品に表現されたあらゆる他者、あらゆる現象、要するに世界そのものを深く理解し愛してゆくことになる。本書の最後は、次の美しい言葉で締めくくられています。
一枚の絵を考えることは、世界をよりよく理解することにほかならない。

by sabasaba13 | 2008-09-02 06:14 | | Comments(0)
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