細い路地に入ると、何気なく唐箕が家の脇に置いてあったのには驚愕。満舟寺の見事な石垣の前を通り、ふるさと学園へと向かいます。
実は観光案内によると、このあたりに戦後すぐにつくられたらしい古い古い「学校注意」の交通標識があるそうです。しかもそこに描かれた小学生のシルエットの足が異常に長いそうな。しかし残念なことに行方不明中、マニアが持ち去ってしまったのでしょうか。心当たりのある方、ご一報ください。(いるわけないか) ふるさと学園の入口右には二宮金次郎像がありました。
ここから階段をしばらく上ると急傾斜地の崩落防止工事中に発見された約100基の遊女の墓を移築したおいらん公園に到着、ここからさらに急な階段を数分ほど上ると素晴らしい眺望の歴史の見える丘公園です。御手洗の町並み、瀬戸をはさんで浮かぶ岡村島、その間につらなる小島・中之島・平羅島、すこしかすんではいますが四国(今治附近)と大島、それを結ぶ来島海峡大橋を見張らせる大パノラマ! こうした高い所から見下すと、風待ちや潮待ちに最適の立地であることがよくわかります。
しばし眺望を堪能しながら一休み、さてそれでは海沿いの道へと行ってみましょう。住吉神社の脇から細長く海に突き出ているのが1828年につくられた江戸時代の防波堤、千砂子波止(ちさごはと)。突端には高灯籠を模した灯台が建っています。
住吉神社の門前には1832年につくられた石造の高灯籠と、一枚岩の太鼓橋がありました。しばらく歩くと積み荷の取引や薪水の供給などをした宇和島藩・大洲藩の船宿が残っています。
と、この時、自転車に乗った島のご老人が近づいてきて、薄汚れた中年男性を見て不憫に思ったのか、御手洗の案内をしてあげようと申し出てくれまいた。うむ、もしかしたら島の人しか知らぬ面白・とんでも物件+情報を教えてくれるのではないか、喜んでお願いしました。んが、しかし先ほど見た物件のところへ行き、ガイドブックに載っているお話をされるだけ、船の出航時間も近づいているし大変申し訳ないけれど途中で切り上げてもらいお礼を言ってお別れしました。ディスプレイを借りてあらためてお礼申し上げます。どうもありがとうございました。
本日の二枚です。