「カラシニコフ」

 「カラシニコフ(Ⅰ・Ⅱ)」(松本仁 朝日新聞社)読了。朝日新聞で連載されていた時に、気にはなっていたのですが結局読まずじまい。カラシニコフ? ニュースや映画でよく見かけるソ連製の自動小銃かい、程度の知識しかありませんでした。
 著者は、朝日新聞の記者として多くの紛争地域を取材された経験をもっています。そこで必ず出会うのが、この銃。国家による武力のコントロールがきかないところで、何故この銃がでまわるのか。たまたまこの銃を設計したミハイル・カラシニコフ氏が存命であることを知り、彼からこの銃の生い立ちを聞くことになります。そして氏は、この銃があふれる紛争地域での取材をし、そこで生きる人々へのインタビューをくりかえしながら、絶えず問いかけます。何故、武力をコントロールできない国家が存在するのか、どうすれば武力をコントロールできるのか。
 AK47、ミハイル・カラシニコフ氏が1947年に設計したソ連製自動小銃、AKは「アフタマート・カラシニコフ(カラシニコフ自動小銃)の、47は1947年の略称ですね。口径7.62ミリ、三十発入りの弾倉を装着できます。彼は第二次世界大戦に従軍しナチス・ドイツと戦いますが、敵の短機関銃により部隊はほぼ全滅します。彼は祖国防衛のため、高性能で扱いやすく、何よりも手入れが簡単で故障しにくい自動小銃の開発に心身を注ぎます。こうした生まれたのがカラシニコフ、つまり誰でも(女性でも子供でも)扱える自動小銃です。これこそAK47が世界中にあふれかえった最大の理由ですね。そして冷戦時代に108カ国に輸出され、また共産圏諸国でもライセンス生産され、国連の推計によると現在、世界中におよそ一億丁のAKがあると見られています。

 まずは、現地で治安の崩壊と銃の蔓延に苦しむ人々の生の声を伝えてくれたことに、感謝します。シエラレオネ、ソマリア、ナイジェリア、チャド、南アフリカ共和国、コロンビア、パナマ、ペルー、パキスタン、アフガニスタン、そしてイラク。おおまかなイメージしかもてない、こうした国々における現状や住民の苦悩をリアルに感じ取ることができました。報道では、こうした名もない人々の声はなかなか取り上げませんものね。銃を憎む人、銃を必要とする人、銃を捨てた人、様々ですが、「できれば銃のない世界で安心して暮らしたい」という気持ちは共通です。それではなぜ銃をコントロールできない国家があり、そしてなぜ銃が蔓延するのか。著者はこう分析されています。
 冷戦が終結したあと、世界はまったく新しい状況に入り込んだ。国際テロに脅かされる時代である。先進国側は冷戦時代、東西の綱引きの中で失敗した国家を国と認めて指導者を甘やかし、国連に議席を許し、犠牲者である住民の声を無視した。ソマリアも、赤道ギニアも、コンゴも。そのツケが、いま回ってこようとしている。
 武力を管理できない/する気もない「失敗国家」のもと銃があふれかえり、自衛のために銃をもつ住民も増える。そこにつけこんでAK47を生産する国家(ソ連・中国・北朝鮮…)と企業が、密輸もふくめたありとあらゆる手段で銃を売り込んでいく。そして治安が崩壊しているかぎり、農業・商業などに安心して従事できず、経済の再建もままならない。世界的な貧困の廃絶と不平等の解消が、今、人類に突きつけられている喫緊の課題だと思いますが、銃の回収を進めなければとても実現できないことがよくわかりました。

 そしてこうした「失敗国家」を支えているいわゆる先進国の責任についてもふれられています。例えば日本のODA(政府開発援助)は相手国政府に渡すものが中心で、その中には失敗国家も多いということです。日本のNGOを経由したODA、これは住民のために直接使われるものですが、1パーセントそこそこしかありません。「失敗国家」の存在を許容するどころか、それを必要とする先進国のねらいについては、もっとつっこんだ取材と分析がほしかったと思います。
 しかし微かですが力強い希望を抱かせてくれる地域、南アフリカの「希望の山」とソマリランドも紹介されています。前者では失業中の若者に生甲斐を与えることによって彼らが銃を捨て、後者では部族の長老が銃の回収に尽力した結果、治安が回復し安心して暮らせる生活がよみがえったそうです。生甲斐と希望を若者に教える広い意味での"教育"と、国家であれ自治体であれ権力機関による銃器の徹底した管理、このへんに解決の糸口がありそうです。本書の中で、日赤九州国際看護大学教授で医師の喜多悦子氏はこう言われています。「失敗した国家とそうでない国家を分ける、明確で分かりやすい物差しがある。警官・兵士の給料をきちんと払えているか、教師の給料をきちんと払っているか」 なるほど。教育予算を削りに削っている日本国が「失敗国家」に転落する日は近… いやもうしているな。

 というわけで大変読み応えのある本でした。あえて言えば、もっと総体的・歴史的見地からこの問題について考察・分析をしてほしかったのですが、これは無体な注文ですね。それを考えるきっかけとなる大きな一歩としての意義は十二分にあります。お薦め。
 最後に一言。こんな一文がありました。
 イラク、ソマリア、パレスチナ、シエラレオネ…。新聞特派員として、これまで世界各地の紛争を見た。そこでAK47やFAL、M16など、多くの国の自動小銃に出会った。一番ほっとしたのは、その中に日本の自動小銃がなかったことだった。
 1976年いらい約三〇年、日本の自動小銃は、世界のどこでも、誰一人殺していない。それは武器を輸出していないからだ。一丁35万円という高値には代えられない貴重な事実だった。
 1976年というのは、三木内閣がいわゆる「武器輸出三原則」を打ち出した年です。ほんとうにこれは堅持すべきだし、それを廃止させようとしている財界の動きには注意すべきでしょう。ん? てことはこの年までは銃を輸出していたのか。本書によると豊和工業が、米国のライセンスによるカービン銃や自社製自動小銃を、タイ国軍・シンガポールやマレーシアの警察、そして「猟銃」としてアメリカに輸出していたとのことです。これは知らなかったなあ、勉強になりました。
by sabasaba13 | 2008-10-23 06:03 | | Comments(0)
<< 瀬戸内編(36):鞆(08.2) 「姜尚中の青春読書ノート」 >>