2008年 01月 29日 ( 1 )

魔笛

 プラハ国立劇場オペラによる「フィガロの結婚」に続いて、同オペラによる「魔笛」(モーツァルト)を見て聴いてきました。こんなに立て続けにモーツァルトのオペラを聴けるなんて、もう悦楽! 会場は上野の東京文化会館、例によって山ノ神とはホール内で待ち合わせです。さあはじまりはじまり。釈迦に説法ですが、ストーリーを紹介します。(台本は彼の畏友である興業師エマニュエル・シカネーダー作)
 森に迷い込んだ異国の王子タミーノは、夜の女王に仕える3人の侍女に助けられ、女王の娘パミーナの絵姿を渡される。パミーナにひと目ぼれしたタミーノは鳥刺しパパゲーノを伴い、僧ザラストロに捕らえられているという彼女を救出に出かける。ザラストロの神殿にたどり着いたタミーノは、この僧が悪者ではないことを知り、パミーナと結ばれるための試練を受ける。みごと試練を克服した2人は、かわいい女房パパゲーナと出会ったパパゲーノらとともに神をたたえる。
c0051620_693687.jpg 開演の少し前から幕は開きっぱなしで、だぶだぶの茶色い衣装を着た十数人のバレエ・ダンサーがウォームアップをしています。そして序曲が始まっても、その状態が続きます。「これは劇なんだよ」と印象付けるための演出なのかな。大規模な舞台装置はなく、数本のロープによってダンサーが操る大きな大きな布が、怪物、山、神殿などなどさまざまな光景を表現します。これはグッドアイデアですね。動かし方や光の当て方で千変万化し、こちらの想像力を刺激してくれました。(安上がりですむし) 客席に姿を現したパミーナをビデオカメラで撮影し、それをリアルタイムでその映像を布に大きく映し出すという細工も面白い。布とともに揺らぐ彼女の姿が、タミーノのときめきを表現しているように思えます。
 演出も穏当なものでした。善玉と悪玉が途中でひっくりかえるストーリーなので、凝りに凝った演出も多いと聞いていますが、今回の演出は夜の女王=ヒール/ザラストロ=ベビーフェイスとメイクと衣装によってはじめからはっきりと提示しています。この方がすっきりしていいですね、音楽に集中できます。余談ですが、夜の女王が登場する時の衣装(高さ4~5mの巨大なスカート!)が、紅白歌合戦バージョンの小林幸子風なのは、日本公演を意識したのかもしれません。
 そして肝心要の音楽。「フィガロの結婚」同様、歌手もオーケストラも大きな瑕疵はなく、安心して聴くことができました。中でも、パミーナを演じたパヴラ・ヴィコパロヴァーの艶のある美声と、パパゲーノを演じたフランティシェク・ザフラドニーチェクのコミカルな歌唱と演技は印象的。となると、あとはモーツァルトの美しい音楽にどっぷりとひたるだけです。愛、笑い、嘆き、憎悪、万華鏡のように人間の心を映し出す魅惑的な音楽に身をゆだねれば、この世は天国さっ!
 それにしても「フィガロの結婚」ではすべてを許したモーツァルトが、本作では世界に漆黒の闇をもたらした夜の女王を最後に地獄の業火へと落してしまったのはなぜか? あまりにもシンプルな勧善懲悪的結末が腑に落ちません。身分制度どころではない、この世に最悪の災いをもたらす許しがたい存在がひたひたと近づきつつあると感じていたのでしょうか。そしてそれは産業革命ではないか、というのは深読みかな、深読みですね。ただそうしたおぞましい事態に立ち向かうための勇気や希望を、音楽が与えてくれるというメッセージはしかと受け取りました。それを伝えるためのメタファーが"魔笛"だと思います。最後の場面でパミーナはこう唄います。
さあ、笛を吹いて下さい。
その音が恐ろしい道を行く私たちを導いてくれるように。
 なお脇役として登場するムーア人(北西アフリカのイスラム教教徒)のモノスタトスが気になりますね。彼はザラストロの従者ですが、囚われのパミーナに恋して彼を裏切り、最後には夜の女王とともに地獄に堕ちてしまいます。醜悪、不誠実、悪徳といったマイナス・イメージをつねにまとわされているムーア人… モーツァルトも「オリエンタリズム」という呪縛からは逃れられなかったのですね。ただ「だのに俺だけ恋しちゃならぬと、色が黒くて醜いからだと。俺にはハートがないとでもいうのか? 血も肉もないとでもいうのかね?」という彼の独白に、一抹の安堵を覚えますが。
by sabasaba13 | 2008-01-29 06:10 | 音楽 | Comments(0)