2008年 03月 10日 ( 1 )

肥前編(9):谷水の棚田(07.9)

 原城駅バス停で降りて、住宅の間の奥まったところにある島原鉄道原城駅前に行くと、観光案内所も貸し自転車もなく、人も猫もいません。これは想定していた事態。駅前にある公衆電話でタクシーを呼ぼうとあたりをきょろきょろすると、「原城交通バス・タクシー」という看板がありました。
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 さっそく電話をすると、数分後に到着。谷水の棚田を見た後、原城へ向かってもらうことにしましょう。駅から十分ほど走ると、棚田に到着です。幸い稲刈りの直前で、たわわに実った黄金色の稲穂が海風に揺れていました。
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 そしてロケーションの素晴らしいこと素晴らしいこと! 背後には雲仙普賢岳、眼下には島原湾と天草諸島、そして海に向かって幾重にも折り重なる棚田。しばらく口を開けて見惚けてしまいました。造成面の石垣積みも見事なものです。中には城壁と見まがうばかりのきっちりとした積み方もありました。院内の石橋群や通潤橋を例にだすまでもなく、このあたりは昔から火山岩を利用して橋や石垣を作る技術が育まれていたのでしょう。それにしてもどれだけの労働力と財貨が投入されたのか、想像するだけで目が眩んできます。
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 最近、「棚田の謎」(田村善次郎 農文協)という大変面白い本を読んだのですが、その中で著者は丸山千枚田(三重県)の工期を試算されています。この棚田造成に必要な工事人工は93,632人、年間300人が工事に加わったという史料があるのでこの数字で単純に割ると、なんと工期は312年強! うーん。もちろん簡単に比較はできないのは重々承知していますが、参考にはなる数値だと思います。以後、棚田をみるたびに、この気の遠くなるような工期のことが脳裡から離れません。田村氏はこう述べられています。「丸山に暮らしてきた村人の宿願が、もし悲観的なものであったなら、今の丸山はけっして存在しなかっただろう。想像を絶する重労働の石垣の雛壇づくりがなし得たのは、親から子へ、子から孫へと地域の未来を明るくするための作業であったからだということを丸山の景観は、私たちに教えているのである」 美しい景観と、それを作りあげた人々の強靭な意志と希望に圧倒され、立ち竦んでしまいました。そして、はたしてあと何年もつのだろうかという不安にも。棚田とは、地域の未来を明るくしようという過去の人々の思いと努力を形象化しているものです。それが荒れ果て消え去るということは、何を意味するのでしょうか…
 待っていてもらったタクシーに乗り込むと、運転手さんは近くにある北村西望生家に立寄ってくれました。彼はここで、京都美術工芸学校に入学するまでの19年間を過ごしたとのことです。
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 本日の四枚です。
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by sabasaba13 | 2008-03-10 06:16 | 九州 | Comments(0)