2008年 03月 26日 ( 1 )

肥前編(17):大村(07.9)

 まずは小姓小路武家屋敷街に行ってみましょう。大村牢跡の前を通り左折すると、おおっ、正面に石垣と木々が両サイドに連なる武家屋敷街が見えます。が、しかし、大村線の線路が無情にも走り、踏切もありません。簡単にすり抜けられる柵があるのですが、当然の如く「線路内立入禁止」の看板。遠回りするのもめんどくさいなあと逡巡していると、買い物籠をさげた老婦人が線路の向こうからすたすたとやってきて、平然と線路を横切り、にこっと笑いながら「こんにちは」と挨拶をしてくれました。これは大村市民89,266人を代表して彼女が啓示してくれた、「こんなもの無視していいの」というメッセージだと見た。さっそく、ルールは守ろうルールは守ろうルールは守ろうルールは守ろうルールは守ろうルールは守ろうルールは守ろうルールは守ろうして、小姓小路に到着。幅広い道の両側に延々と連なる重厚な石垣、その上部にはきちんと剪定された屋敷林。これは見事です。
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 そして1865(慶応元)年に建てられ、最も保存状態のよい中尾元締役屋敷へ。海石を漆喰で固めた五色塀がきれいに残っています。これをつくるのは楽しそう、やってみたいものです。その前にある踏切の向こうに記念碑らしき物件が見えたのでさっそく行ってみると「動員学徒之碑」でした。太平洋戦争期に、大村中学校の生徒が大村海軍航空廠に学徒動員され、空襲により5名がなくなったそうです。
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 岩船・本小路武家屋敷街は往時の面影はあまり残っていません。そして上小路へ。こちらは石垣がつづく緩やかな坂道となっています。中には石垣+白漆喰+瓦屋根を組み合わせた立派な物件もありました。
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 次は旧円融寺庭園(現大村護国神社)、境内奥の斜面に、江戸初期の様式でつくられた枯山水庭園が残されています。その前に並ぶ23基の墓碑は、戊辰戦争による戦没者のもの。
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 ここ草場小路にも見事な五色塀が残されていました。
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 さあ歩いて駅に戻りましょう。途中で二枚ほど裁判員制度に関心を持ってもらおうとするポスターを見かけました。2009年までに政府が遮二無二実施しようとしているこの胡散臭い制度の問題点については、「裁判員制度の正体」(西野喜一 講談社現代新書)をご一読ください。必然性がなく、憲法に違反し、手抜き審理が横行する可能性があり、真相追及が図られなくなる恐れがあり、被告人・被害者にとって辛く苦しいもので、費用がかかり過ぎ、国民の負担が大きく、戦前の国家総動員につながる思想をはらんだ、あまりにも問題が多すぎる制度だと批判されています。読んだ限りでは荒唐無稽な指摘はないですね。ただ、現行の裁判制度を手放しで礼賛するような記述がひっかかりました。裁判員制度ほどではありませんが、こちらも多くの問題点をかかえていると思いますが。「愉快な裁判官」(寺西和史 河出書房新社)が大いに参考になります。
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 本日の四枚、上から小姓小路、中尾元締役屋敷、上小路、五色塀です。
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by sabasaba13 | 2008-03-26 06:09 | 九州 | Comments(0)