2011年 05月 02日 ( 1 )

熊野古道編(16):近露(10.3)

 月の家に戻り、徒然なるまま窓から外を眺めていると、幾人かの旅人が通り過ぎていきます。「同志よ」と(特に若い女性とは)抱きしめあいたくなりますね。
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 一休みしていると夕食の時間となりました。階下にある広間に入ると、すでに先客がおられました。お一人は大阪からこられた方で、退職して悠々自適の暮らしをしながら、何回かに分けて琵琶湖を一周するなど全国を歩き回られているそうです。今回は熊野本宮大社まで中辺路を歩いて帰られるとのこと。もうお一人は名古屋から来られた退職間際の方で、各地で開かれるマラソン大会に参加されているそうです。明日、こちらで開かれる「熊野古道近野山間マラソン大会」に参加されるとのこと。お連れの女性は三十代前半ぐらいかな、ちょっとわけありの雰囲気もただよっています。もしや愛人28号…などという野暮な穿鑿はやめましょう。私はいちおう「ある時は片目の運転手、ある時はインドの魔術師、しかしてその実体は…正義と真実の使徒」と自己紹介しておきました。そして噂のおやっさんが登場、熊野本宮や古道についての蘊蓄をひとくさり話してくれました。明日のお弁当をお願いすると、食べる際には行き倒れの餓鬼のために飯粒三粒を地に落とすことを忘れぬようにと諭されました。明日は最長の行程なので、朝食を午前六時半にしてもらえないかと、恐る恐るお願いすると、"喝!"という表情で一蹴。「遅い! 六時に用意してあげるから六時半には出発しなさい」という有難いお言葉をいただきました。多謝。そして夕食、さんまの姿寿司がおいしゅうございました。
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 そして部屋に戻り、明日の行程をガイドブックで確認。明日は熊野本宮大社まで距離にして約27.3km、休憩・拝観等を入れない標準所要時間8時間22分、標高差200~400mの峠越えを三回繰り返すというハードなコースです。「行々て たふれ伏とも 萩の原」という曽良の句がふと頭をよぎりました。万全の体調でのぞむため、酒は絶って早く寝ることにしましょう。ただ気になるのはお天気です。予報によると、これから強風・大雨の後天になるとのこと。空はどんよりと曇っていますが、雨が降る気配はまだありません。できれば夜のうちにひゅるひゅる大風が吹いてざんざばざんざばと大雨が降ってくれればいいのですが、そう都合よくいくでしょうか。雨の中、あのつるつる滑る石畳の坂をおりると想像するだけで、身の毛がよだってしまいます。ここは熊野の神様に祈って、果報を待つしかありませんね。蒲団にもぐりこんで、ナイトキャップがわりに「南方熊楠随筆集」をすこし読みました。昔より中国では、無実の罪で死んだ者の血は青くなり、年月を経ても殺された地上にあらわれる、これを碧血と言うそうです。なるほど、箱館戦争の死者を悼んで榎本武揚らが建てた「碧血碑」にはそういう意味があったのか。熊楠曰く、それはフィサルム・グロスムという粘菌の仕業だそうです。(p.50) また西洋で体験した男女交合の話の中で、熊楠さん、ひと暴れします。
 …女は年をとるほど、また場数を経る広くなる。西洋人などはことに広くなり吾輩のなんかを持って行くと、九段招魂社の大鳥居のあいだでステッキ一本持ってふりまわすような、何の手ごたえもなきようなのが多い。ゆえに洋人は一たび子を生むと、はや前からするも奥は味を覚えず、かならず後ろから取ること多し。これをラテン語でVenus aversaと申すなり。(支那では、隔山取火という)。されど子を生めば生むほど雑具が多くなり、あたかも烏賊が鰯をからみとり、章魚が梃に吸いつくように撫でまわす等の妙味あり。夢中になってうなりだすゆえ盗賊の禦ぎにもなる理屈なり。(p.68)
 まいったなあ、眠れなくなっちゃうじゃないかあ。
by sabasaba13 | 2011-05-02 06:18 | 近畿 | Comments(0)