2011年 05月 05日 ( 1 )

熊野古道編(17):野中の一方杉(10.3)

 ヴェネツィアでお騒がせして顰蹙を買った電子メトロノーム+目覚し時計がピピピピピピピピピと囀り5:30を告げました。飛び起きて窓を開けると、おお、雨は降っていません。歯を磨き顔を洗い朝食をとりに広間に入ると、すでに大阪の方が食されていました。彼曰く、夜半に吹いた強風の音で眠れなかったそうです。雨もしょうしょう降ったとのこと。どうやらこれで嵐は過ぎ去ったのかな、一安心しました。食後にこの方から、熊野本宮まで同道しませんかと提案されました。うーん、本日は長丁場、できうれば自分のペースで歩きたいところですが、四方山話をしながら歩くのも悪くないなと思い承諾。6:40に玄関で落ち合うことにしました。荷物をまとめ身づくろいをし、腹ごなしに宿の周辺をプチ散歩。天気は快方に向かいそうです。朝靄にかすむ連山が水墨画のようで、見とれてしまいました。
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 約束どおりの時刻に玄関で落ち合い、おやっさんから弁当を受け取り、宿代9000円を支払い、丁重にお礼を述べてさあ出発。自動販売機で水のペットボトルを二本購入し、まずは野中の一方杉をめざします。途中にあった近野小学校には「熊野古道近野山間マラソン大会」という垂れ幕、名古屋の方が参加するマラソン大会の出発点なのでしょう。あいかわらず山々はけむっていて眺望がききませんが、後に黄砂の影響であることが判明しました。
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 山の斜面に沿う緩やかな舗装道路の坂道をしばらく歩くと比曽原王子跡がありました。
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 その先には"新しい「過疎立法」でふるさと活性化を!"という看板。路上には昨夜の嵐のため杉の葉や枝が散乱しており、マラソン大会のために地元の方が清掃していました。
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 一時間ほどで、名水「野中の清水」に到着です。石垣で組まれた池から流れ出るおいしい清水をいただきました。
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 そばには「すみかねて道まで出るか山しみづ」という服部嵐雪の句碑と、「いにしへのすめらみかども中辺路を越えたまひたりのこる真清水」という斎藤茂吉の歌碑がありました。1934(昭和9)年に土屋文明とともに熊野に来て、白浜に自動車で向かう途中で詠んだ歌だそうです。昨日見た文明の歌も、その折のものなのでしょう。
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 ここから急な石段を上ると野中の一方杉と継桜王子に到着です。ふわああああああ、凄い。継桜王子へと至る石段の両側に、周囲を圧するような杉の巨木が十本ほど林立しています。枝がすべて熊野那智大社のある南に向かって伸びているので、一方杉と言うそうです。神社合祀の際に南方熊楠らの尽力によって保存されたと、解説板にありました。「南方熊楠随筆集」にも関連した記述のあることが、後日わかりました。
 …野中村へ神林の老木伐採を見合すよう勧告に往復十七、八里を歩まねばならず。…野中に一方杉とて名高き大杉あり。…後援なき一個人のこととて私費多きわりに功力薄きにはこまり入り候。…いずれも一間から一丈近き直径のものに候て、聖帝武将勇士名僧が古え熊野詣でにその下を通るごとに仰ぎ瞻られたるに候。この木などを伐らんとて無理に何の木もなき禿山へ新たに社を立て、それへ神体を移したるなり、これらは名蹟として何んとか復社させられたきことに御座候。(p.449)
 この巨木に出会えるのも熊楠さんのおかげです。感謝。
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 本日の四枚です。
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by sabasaba13 | 2011-05-05 06:14 | 近畿 | Comments(0)