2011年 05月 11日 ( 1 )

熊野古道編(20):岩神峠(10.3)

 そして九十九折りの急坂を、転ばぬよう滑らぬよう一歩一歩慎重にくだりはじめました。二十五分ほどで、二つの峠の間を流れる小川に到着、小さな橋を渡ると「仲人茶屋跡」という解説板がありました。へえー、この川は栃の川と言うのか、なんでもトチの大木が多かったそうです。これから岩神峠へとつづく坂道を男坂というので、江戸時代、ここにあった茶屋は仲人茶屋と呼ばれたそうです。
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 さきほどと同様、急な上り坂ですが、こちらは時々眺望が開けるところがあります。
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 樹齢の若い杉林の間を黙々と歩くこと三十分ほどで岩神峠に到着。
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 ぜいぜいぜい… こちらにあるのが岩神王子跡。ここにはちょっとしたエピソードがあるので、「熊野古道」(小山靖憲 岩波新書665)から引用します。
 重度の身体障害者が一人で熊野に参詣していたことがわかるのは、藤原宗忠が石上の多介(岩神峠)で盲人に出会ったという、『中右記』の天仁二年一〇月二五日の記事である。宗忠が石上王子に参ったところ、社辺に盲人がうずくまっている。話を聞くと、田舎から出てきて熊野に参詣する途中で、食糧がつきてしまったというので、宗忠は食糧をめぐんでやった。
 石上王子は中辺路の岩神峠にあった王子社で、現在は跡地だけが残るが、かなり険しい坂道をのぼった山中にある。盲人の出発地は田舎とあるのみでどこかわからないが、どうしてここまで来ることができたのか、また本当に熊野まで行き着くことができるのか、誰しも疑問に思うところである。(p.103)
 はい、疑問に思います。小山氏はその謎に答えてくれるのが、説教節「をぐり」(小栗判官)だとされています。恨みをかって毒殺された小栗は餓鬼の如き姿(癩?)となって蘇生し、藤沢の上人によって土車に乗せられて湯峯に送られることになります。この時、上人がつけた札に「この者を一引き引いたは千僧供養、二引き引いたは万僧供養」と書かれていたので、沿道の人々は土車の綱を次々に引いて湯峯に送ることになりました。そして湯峯の湯にはいって元の小栗にもどり、許婚の照手姫と再開してハッピーエンド。そう、社会的弱者を援助することも、熊野権現の御利益にあずかる手立てと考えられていたのですね。一般の女性がいち早く熊野に参詣できたのも、沿道の人々の援助があったからだとも指摘されています。あらゆる人々を分け隔てなく受け入れてくれるのが熊野の魅力だったのですね。
 なおガイドブックには、岩神王子周辺は「ダル」(山中で行き倒れた参詣者の怨霊)にとりつかれ、遭難する人が絶えなかった場所、南方熊楠も被害にあったので注意が必要というアドバイスが載っていました。これまでいろいろな旅行ガイドブックを読んできましたが、怨霊に注意という助言ははじめてお目にかかりました。さすがは熊野。でもあえて苦言を呈すれば、その対策についても触れるべきですね。そう、昨晩「月の家」のおやっさんが教えてくれた、食事をする際にご飯を三粒地に落とす! ちなみにこの「ダル」は、ひだる神とも呼ばれるのでしょうか、御教示を乞う。

 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2011-05-11 06:18 | 近畿 | Comments(0)